さて、あと数日でいよいよRe_Pray宮城。

 

追加公演という形で実現した地元凱旋ではありますが

 

なんていうか、日に日に、羽生くんは最初からここ宮城でやることが悲願だったのではないのかな、という気がしています。

 

でも最後までKOSEさんがスポンサーについてくれなかったのを見てもわかるように

 

それをさせたくない勢力からの、何からかの横槍がずっとあったのではないかしら?

 

先日も書いたように

 

GUCCIさんのアンバサダーが決まって初めて可能になったみたいだし

 

そのGUCCIさんのアンバサダーも

 

だいぶ前からお話としてはあった形跡はあるものの

 

本決まりになったのが(あるいは発表することができたのが)3月までずれ込んだところを見ても

 

週刊誌のゲス記事のことなどいろいろあって世間が落ち着かず

 

発表は時期を待たなくてはならなかったのかなと思いました。

 

 

だって日本上陸60周年という記念すべき年のブランドアンバサダーですから

 

イメージ大事ですもんね。

 

 

でもそれがいよいよ発表になってしまえばもうこちらのものですよね。

 

だってGUCCIさんは世界に冠たるハイブランドの1つで

 

東京タワーをグッチ色に染めるぐらい日本国内でも力があり

 

また60周年でいろんな行事があるときに、公式のアンバサダーの羽生さんを貶めるような真似をするということは

 

GUCCIを敵にまわすことでもありますから

 

少しメディアからの羽生さんへの誹謗中傷は減ったような気がします。

 

だってこれから色々あるときに取材させてもらえなかったらメディアも困りますからね。

 

 

そしてGUCCIさんのおかげで悲願の?宮城凱旋公演も可能となった羽生さん。

 

きっと今頃、毎日厳しい練習に明け暮れているでしょうね

 

会場もこんなに早くから借り切って準備に入っているようです。

 

 

どうか無理しすぎることなく

 

7日と9日

 

元気な姿を見せてください。

 

私はまだ7日のチケットしかとれていませんが

 

リセールでなんとか大楽ゲットしたいと思っています。

 

 

そして奇しくも間の4月8日の中日はお釈迦様のお誕生日(花祭り/灌頂会)。

 

日本人は12月25日のキリストの誕生日は知っているけれどもお釈迦様の誕生日は知らない人が割と多いですよね。

 

キリストは、(ナザレに住むヨゼフとマリアが住民登録のために先祖の町である)ベツレヘムに向かう途上、その地の馬小屋で聖母マリアから生まれたとされていますが、そのとき、星が流れ、それを見た東方三博士(占星術師)は救世主が生まれたことを知り、ベツレヘムにお参りに来たという言い伝えがあります。幼子イエスは飼い葉桶に寝かされた姿で、そこに動物たちや羊飼いや博士たちがお参りに来ている姿が描かれることが多いです。


お釈迦様の誕生逸話は、これとはだいぶ違って、(出産のために実家に里帰りしようとして途中の)花園で休んでいた摩耶夫人の右脇から生まれ、その直後に七歩歩いて右手で天を指し、左手で地をさして「天上天下唯我独尊」と言ったというもの。

 

そのため天地を指差し立っている姿で描かれるのが誕生仏です。

 

 

いきなり立って歩き、言葉も喋るというスーパー赤ちゃんですが

 

あれ・・・!?

 

その手指・・・

 

羽生くん・・・!?ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ

 

 

ちなみに上の写真はこちらからお借りしました。

 

 

お花祭りでは、上の写真のように、花で周囲を飾った場所に誕生仏を安置し、参拝者が柄杓で甘茶を注ぐという習わしがあります。

 

お釈迦様は花園で生まれ、生まれてすぐに「天上天下唯我独尊」と言ったという言い伝えからこのような姿で描かれています。さらに甘茶を注ぐのは、お釈迦様が誕生した時に、九頭龍(!)が天から降りてきて、甘露の雨を注いだという言い伝えに由来しているそうです。

 

九頭龍は私がいつもお祈りするときに呼びかけている神様の一人です。まさかお釈迦様の誕生の際に出ていらっしゃってたとかびっくりです。

 

 

ちなみに「天上天下唯我独尊」の意味ですが、色々な解釈があるようですが

 

「(それが誰であれ)誰でもその命は唯一無二であり、ありのままで尊い」とする考えもあるし音譜

 

「この広い世界のなかで、自分自身にしかできない尊い使命がある」とする考え方もあります。

 

どちらにしても深い教えだなと思いました。

 

 

私たちはそれぞれこの広い世界で唯一無二の存在であってとても尊いのだという考え方は

 

ともすると傲慢という風にも誤解されてしまいがちですが

 

でもなぜ尊いかといえばそれはそれぞれが何かしらの尊い使命を持ち

 

その使命を全うするために生まれてきたからだと考えると

 

すごく納得するものがあります。

 

スマップの歌に「世界にひとつだけの花」という歌がありましたが

 

誰かと比べるのではなくそれぞれが自分の花を一生懸命咲かせればいいのだという考え方であるとすれば

 

それは同じことを言っているのかなと思います。

 

 

みんながそれぞれ、生まれてきた理由があり

 

担うべき使命がある。

 

みんなが同じである必要もないし

 

誰かを否定する必要もない。

 

 

社会に出て人の上に立って大きな仕事をすることが使命の人もいれば

 

その人を支える縁の下の力の持ちの人もいる。

 

家族を慈しみ支える人もいれば

 

家族を食べさせるために仕事を頑張る人もいる。

 

どの一人が欠けてもきっと物事はうまくいかない

 

だから

 

それぞれがそれぞれの本分を果たせばいい

 

そういうことなんだろうと思います。

 

 

それはRe_Prayの後半で、自分が生き延びるために他の命を奪うのではなく、どの命も大切にする、という考え方にも繋がってくるのではないでしょうか。

 

前半は、それこそ自分の「欲」に任せて突き進み

 

自分が生き延びるために当たり前のように他の命を奪い

 

それを踏み台にして勝利に向かって突き進む

 

そんな生き方です。

 

その行き着く果てには

 

たった一人の勝者と敗者となった他全員の死屍累々。

 

破滅以外の何ものでもない。

 

そんな中で

 

果たしてそのたった一人残った勝者を、勝者と呼べるのかどうか

 

 

人気ボードゲームの「モノポリー」でも最後に一人が総取りするために

 

ゲーム自体が実行不能になる、つまり消滅してしまうわけで

 

つまり行き着くところは破滅しかないのですよ。

 

 

Re_Prayででも一人の英雄が全ての戦いに勝ったとしても

 

世界はSave(救済)されなかったのです。

 

 

後半で提示された生き方は

 

誰の命も奪うことなく

 

全ての命を大切にする中で

 

自分の進むべき道(使命)を神への祈りを通して見つけてゆく、という生き方。

 

 

誰の命も奪わない、それぞれの命、それぞれの生き方を大切にする、という決意。

 

 

一人の救世主(英雄)によって何かを変えるのではなく

 

それぞれがそれぞれにとっての救済者になる

 

それぞれのミッションを全うすることで

 

世界を大きく変える(change the world)のではなく

 

少しづつ違いを生み出してゆく(make difference)

 

そんな人々の小さな日々の営みこそが

 

世界に優しさや美しさ、夢や希望、そして命の続き(未来)を

 

担保してくれるものだと。

 

 

もしも

 

Re_Prayの根底にある気づきがそのようなことだとしたら

 

天地を指差し「天上天下唯我独尊」と言った誕生仏の姿こそが

 

まさにそれだなと感じました。

 

 

 

天と地とは

 

羽生さんがずっとテーマとしてきたこと。

 

 

まさかそれがここに繋がるとはびっくりびっくり

 

 

ちなみに4月9日は一粒万倍日だそうです。

 

きっと羽生さんやファンの祈りは、

 

万倍にも増幅されて世界に素晴らしい波動を伝えてくれることでしょう。

 

 

さあ、私もお祈り頑張るぞ!