先日UPしたドキュメンタリーの2回目です。


今回は、私たちにとっても非常に馴染みのある、むしろ無くては生きていけない「漢字」のお話。これまた大変興味深い内容でした。


まず漢字を生み出したのは殷(いん)王朝ということです。中国最古の王朝・夏(か)を滅ぼした王朝ですね。


2010年に発見された望京楼(ぼうきょうろう)遺跡から「を攻め滅ぼし、からへ王朝が変わった証拠」がたくさん出土しているそうです。


たとえば青銅器。そしての人と思われる大量の人骨…。人骨はどれも鈍器で顔を潰されたり足を切断されるなど極めて残忍な殺され方をしており、その処理には青銅の鉞(マサカリ)が使われたのではないかと考えられているようです。


を滅ぼしたは、その後、強大な軍事力で勢力を拡げ500年以上にわたって栄えました。


青銅の武器で一気に夏を征服したと思われる。


また、殷王朝の後半、都だった殷墟(いんきょ)からは夏王朝の遺跡では発見されなかったモノ(で生まれたモノ)が発見されています。その一つが最古の漢字を刻んだ亀甲や獣骨、つまり甲骨文字ということです。




発掘当時の考古学者を驚かせたのは、3000年以上も経っているにもかかわらず幾つかの文字が読めたことでした。


エジプトのヒエログリフをはじめ、多くの古代文字は解読にかなりの時間を要しましたが、甲骨文字には現在の漢字と似たような文字がたくさんあり、また文法も大きく変わってないため解読がスムーズに進んだそうです。




前回記事で「すべての王朝がこれまでの王朝の文化を少しずつ受け継いだ」と書きましたが、どうやら漢字もその一つと見なしていいでしょうね。


ただ漢字の用途は今とは違っていました。そもそも漢字を扱える人はごく限られた側近のみでした。


なぜなら、殷王朝において漢字とは「神(祖先たち)と対話する」ための重要アイテムだったからです。


殷王は、漢字を亀甲や獣骨に刻み、戦いのゆくえや種蒔きに適した日などを占いました。炎で炙った青銅を骨に突き立てるとヒビが入るので、そのヒビの状態で吉凶を占ったということです。


王の妾が病死してしまわないかを占ったもの


このヒビは、たいてい(ぼく)という字の形になりました。このことからは「神の答え」という意味を持つようになります。さらにという字の元々の意味は、神の答え(を王が(言葉)にする、という。


なるほどですね。


ところで、発見された甲骨文字には、ある一つの文字が頻繁に出てくることがわかりました。


それは(きょう)という文字。この文字が指すものは「人間の生贄」・・・


「牛10頭と人間30人を捧げる」と刻まれている。


つまり、占いで神から答えを得るには代償が必要だったのです。背景には、時代の神は「人の頭を好んで食べる」と考えられていたということがあります。


とにかく殷王は何かというと占いました。そして占うたびに生贄が必要とされたわけですが、その数、なんと1万4000人とかガーン


もちろん発掘で判明した数です。


この生贄は、の神のお気に召すようにしっかりと頭部を切り落とされていました。


穴の数=占った数。この穴に頭部のない人骨があった…


実は、この生贄の頭部(頭蓋骨)を指す漢字が今もふつうに日本で使われています。頻度で言えばかなり高いと思いますし、その意味をなすものを好む人も多いと思います。


さーて何でしょう?皆さんはお分かりですか?


答えは・・・・、


「白」です!そう、白色の由来は頭蓋骨の白だったのでしたガーン


思わず「・・・。」となりますね。


門外不出のはずの漢字ですが、やがて「の属国」へと流出していきます。


主な流出先はでした。しかしとは違った言語を話していたとされます。わかりやすくいうと北京語と広東語のような感じでしょうか。同じ中国語でも全く異なったようなのです。


とはいえ、漢字はしっかり意味が通じるように使いこなしていたといいます。それは第二言語として新たに漢字(の発音)を習得したということではなさそうなのですが、


そこらへんの詳しい説明がなかったように思うので私もここに書くことができません。


ただ、あくまでも個人的な考えなんですけど「ヨロシク夜露四苦」みたいなことだったのじゃないかと思います。


たとえば、の発音でヨロシク、しかしではヨロシクは通訳以外に伝わらない。ところが、夜露四苦と当て字にしたら意外と意味が通じるじゃん!みたいなことだったのではないかと…。


ま、わかりませんがね。


あるいは、音読み・訓読みのようなモノだったでしょうか?とりあえずとは違う言語ながらも甲骨文字漢字をしっかり取り入れて、使いこなしていたということです。


ただ、があったとされる周原(しゅうげん)遺跡から大量に発掘・解読された甲骨文字によると甲骨文字を占いには使いませんでした。


よりも遥かに小さい亀の甲羅に文字を刻み、記録として用いたようなのです。


その記録用の亀の甲羅がどれくらい小さいのかというと一円玉くらいじゃないかと思います。そして刻まれた文字一つの大きさはわずか1ミリだと言うんですから目が点です。職人技だ!


周原で発見された周の甲骨文字


実はは中国大陸における3番目の王朝なのですが、


強大な軍事力を誇るは500年もの間、周辺の小さな部族をたくさん従えていました。


その一方で、従属を望まない部族もたくさんありました。の属国だったは裏でこっそりそういった部族たちと甲骨文字で連絡を取り合い、時機を見てクーデターを起こしたのです。


考古学者曰く「のしたたかさが甲骨文字からよく読み取れる。」とのことです。ふと思ったんだけど「周到」という言葉の由来はでしょうか?サクッと調べただけじゃ分かりませんでしたが、気になります。


このクーデターについては司馬遷の「史記」にも記述があるそうです。それによるとの軍勢70万、一方、は小さな部族を集めに集めて、それでいてに劣らぬ軍勢だったそうです。


しかし、長きにわたり中国大陸に君臨してきたからこそはこれほどまでの軍勢を相手にすることがなかったため、兵士たちは驚き恐れおののいて敵に背を向けさっさと逃げ出してしまいました。つまり戦わずしては負けたのです。がクーデターを起こしてからたったの1日で殷王朝は滅亡してしまったのでした。


殷王朝から周王朝に変わると、漢字にも大革命が起こります。を倒すために協力してくれた部族たちと土地に関する契約を交わしました。


契約書として使われた青銅器
中に文字が刻まれています。


いわゆる封建制度です。


土地の領有を許す代わりに税金または軍事奉仕を義務付ける。はこうして力ばかり誇示して部族を従えていたの二の舞にならないよう、周囲の部族を緩やかに支配していきました。


またが各部族たちに送りつけた青銅器の「契約書」は結果としてそれまで文字を持たなかった部族たちに漢字を与えたことにもなります。


すると、が生み出した文字だけでは足りなくなり次々と新しい漢字が生み出されていきました。




漢字はそうして発展していきますが、元王朝、明王朝、清王朝のときに廃れる危機に陥ります。君主が漢字を良しとしなかったからです。


でも漢字は未だに中国で使われていますし、日本にとっても大切な文字の一種です。廃れる危機にあってもちゃんと盛り返して今に至るのですから


はぁ、ロマンですね〜ビックリマークビックリマーク


こういう角度から漢字を知るのもたまには良いですね。以下は、現在中国で使われている中で最も画数の多い漢字だそうです。読み方知らんけど




レッツ・トライビックリマーク書いてみようビックリマーク


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