「少年時代」に続いて井上陽水の「氷の世界」の考察をします。
前回の少年時代の考察はこちら↓
「氷の世界」もかなり意味不明ですよね(笑)
ライブで聴いた時は、ロックな感じで陽水さんかっこいいってなった曲です。
では私なりに歌詞を考察していきます。
この氷の世界が発売日されたのは1973年で、
学生運動が下火になっていった時期かと思います。
私は生まれていませんでしたから、どういう雰囲気か分かりませんがこの時代の若者は「しらけ世代」と呼ばれているとのことです。学生運動が盛んだった「団塊の世代」を経て、何をやっても国を変えられないという諦めから、権力に逆らったり、一生懸命になることをかっこ悪いと考える人が多かった世代のことです。それを踏まえた上で見て行きましょう。
窓の外ではリンゴ売り
声を枯らしてリンゴ売り
きっと誰かがふざけて
リンゴ売りのまねをしているだけなんだろう
外で一生懸命リンゴを売ってる人がいます。しかし男は「どうせリンゴ売りの真似事をしてるだけでしょ」と気にも留めません。本気でやるなんて馬鹿なことするわけないと言わんばかりに。
※外は吹雪で赤いリンゴを売っています。真っ白の吹雪、真っ赤な丸いリンゴは日の丸を意味しているのかもしれません。その赤いリンゴをを売っているイコール日本の活力が奪われている(日の丸の赤い丸は活力の意味)ことを暗示しているのかなと思います。
僕のTVは寒さで画期的な色になり
とても醜いあの娘を
グッと魅力的な娘にしてすぐ消えた
TVを見ていると過激派の学生運動のニュースが流れてきます。嫌悪感を抱きながらも、自分含め周りがあまりにも冷めている(しらけ世代)ため、何故か情熱的な魅力的(画期的な色)なものに見えてしまいます。
しかしそのニュースの学生運動の人たちも世間から淘汰されて行きます。
今年の寒さは記録的なもの
凍えてしまうよ
毎日 吹雪 吹雪 氷の世界
自分も世間も冷めすぎて真っ白な氷の世界のようになっています。日の丸から赤い丸が奪われたように。
誰か指切りしようよ
僕と指切りしようよ
軽い嘘でもいいから
今日は一日はりつめた気持ちでいたい
自分の中にある情熱が顔を出してきますが、本気であるということをなぜか隠したい気持ちがどこかにあります。なので誰か学生運動やろうよと軽い感じで誘います。ただのマネごとでも一日でもいいからと冗談めかします。
小指が僕にからんで
動きがとれなくなれば
みんな笑ってくれるし
僕もそんなに悪い気はしないはずだよ
なぜ本気だというのを隠したいのかというと、本気だということを知られたら失敗したときに恥ずかしいからです。軽い感じだともしそれが上手くいかなかったとしても周りは笑うだけで深刻に捉えないし、自分もそっちの方が傷つかないでいいなと考えます。冒頭で「リンゴ売りの真似事をしてるだけだろう」とさして気にも止めずにいた自分のように、周りもそうしてくれるだろうと考えます。結局逃げ道を作って傷つくことから逃げているのです。
♩流れてゆくのは時間だけなのか
涙だけなのか
毎日 吹雪 吹雪 氷の世界
何もできないまま日々が過ぎて行きます。この状況が悲しいのか自分も世間も冷めすぎてそれさえも分かりません。
♩人を傷つけたいな
誰か傷つけたいな
だけどできない理由は
やっぱりただ
自分が怖いだけなんだな
本当はすごく情熱があるのに恐れをなして何もできない自分がいます。学生運動で自分の思想を主張することは誰かの思想を曲げようとすることであり誰かを傷つけることにも繋がります。そんなふうに人と本気でぶつかり合いたいという情熱があるのにそれをできないでいるのは、誰かを傷つけたくないからではなく、自分が傷つくのが怖いだけなんだと気づきます。前述の失敗した時の恐れなどからくるものです。
その優しさを密かに胸に抱いてる人は
いつかノーベル賞でも
もらうつもりで
ガンバッてるんじゃないのか
人を傷つけることができない(自分を主張しない)人は、誰も傷つかない世界平和のためにあえて自分を主張せず冷めた態度をしてるんじゃないのかと皮肉ります。自分への皮肉であり、言い聞かせている部分もありそうです。
ふるえているのは寒さのせいだろ
怖いんじゃないネ
毎日 吹雪 吹雪 氷の世界
しかし結局吹雪(冷めた世間)に飲み込まれて、傷つくことが怖いんじゃなくて世間が寒いから悪いんだと世間のせいにしてまた寒い世界に戻っていきます。
以上が私の考察です。
この曲は学生運動が下火になって何事にも無関心でやる気もなく人とぶつかり合うことを避ける世の中を嘆いてる曲なのかなと思いました。現代もネットであーだこーだ言うことができますが、現実世界で行動に移す人はいないし今もなおそういう風潮は続いてるのかなと思います。陽水さんの嘆いた氷の世界は続いているのかな。
みなさんはこの歌詞をどういうふうに解釈しましたか?