荊州関羽祠(湖北省荊州市) | 【中国旅行家】momonga-travelのブログ

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旅するモモンガさんの「旅行日記」と「気まぐれ日記」

中国に8年間住んでいたのサラリーマンのモモンガさん。
当時、休日はバックパッカーとなり中国各地への気晴らし旅行。

自称「モモンガ・トラベル China Branch」を経営ということで…

荊州関羽祠(Jīngzhōu Guānyǔcí)
訪問日 2022年5月21日(土)
 
荊州関羽祠だが、中国三国時代、関羽がこの荊州を守っていたことで知られる。明代のはじめ、一般庶民が関羽の忠義・仁勇の精神を以て、後世の勉学や人材育成の場としてこの関羽祠を建てた。
 
 
では行ってみましょう!
 

 

荊州

荊州博物館をでてきました。博物館から関羽祠まで約900メートル。歩いて向かいます。

 

荊州

途中にワンちゃんが!!

 

荊州

再開発が進んでいない古き良き街という感じ。

 

荊州

この信号を左に曲がると関羽祠です。ちなみに道の奥に城壁がみえます。

 

荊州 関羽祠 山門

山門」に到着だ。

 

荊州 関羽祠 説明書き

関羽祠の説明書きだ。この説明書きをもとに説明をしていこう。

 

荊州 関羽祠 チケット

チケットの表面。「あれ?この"チケットの関羽祠の山門の色"と"実際の山門の色"が異なるぞ!

 

荊州 関羽祠 チケット

チケットの裏面。チケット代は27元(約540円)だ。

 

荊州 関羽祠 見取り図

チケット内売り場のところに見取り図がある。反時計周りで進んでみよう。

 

荊州 関羽祠 天梯

階段の正面に見えるのが正殿だ。この場所はもともと卸甲山(Xièjiǎshān)という丘のような山だったそうだ。

 

荊州 関羽祠 正殿

正殿が見えますが、反時計回りで進みます。

 

荊州 関羽祠 兄弟樹

手前には関羽石像、奥には兄弟樹と言われる木が植えられている。

 

荊州 関羽祠 兄弟樹

言い伝えでは、関羽の2人の子の関平と関興の兄弟がここに楠を植え、その後何千年と育っていたが、旧日本軍が荊州を攻めた際焼き払ってしまった。その後、焼き払ってしまった楠から新芽が生え今のようになったという(説明の文章がご丁寧に"日本鬼子"となっている…)。

 

荊州 関羽祠 誠信殿

つぎに「誠信殿(Chéngxìndiàn)」だ。

 

荊州 関羽祠 誠信殿

誠信殿内はお土産店となってる。"とにかく関羽の置物"が売られている。

 

荊州 関羽祠 像 城壁

つぎに見えるのは関羽の銅像だ。2012年に造られたそうだ。奥には城壁が見える。

 

荊州 関羽祠 正殿

次は正殿(Zhèngdiàn)。卸甲山という名前に由来だが、関羽が戦争から帰ってくると、この場所で甲冑を卸したことから卸甲山というそうだ。聖殿には関羽が祀られており、関羽の脇には劉備・張飛が立っている。

 

荊州 関羽祠 祥和殿

次に「祥和殿(Xiǎnghédiàn)」だ。祥和殿の対面に誠信殿が立っている。

 

荊州 関羽祠 祥和殿

祥和殿には関羽、関羽の父母、関羽の妻、2人の息子の関平と関興、関平の妻、関平の子、関羽の娘が立っている。

 

荊州 関羽祠 蓮

そばには蓮の花がきれいに咲いています。

 

荊州 関羽祠

右側になにか碑のようなものが立っていますね。

 

荊州 関羽祠 関羽読書処

関羽読書処(Guānyǔ dúshūchù)」とある碑だ。

曰く「関羽が荊州を治めていた再、凱旋から帰るとここで甲冑を脱ぎ捨て『春秋』を読んだという。読書好きで話好きでもあった」と。

 

荊州 関羽祠

さて山を下ります。

 

荊州 関羽祠

見えてきたのは(右から)趙雲、関羽、劉備、諸葛、諸葛亮の像だ。

 

荊州 関羽祠 赤兎馬

こちらはなんでしょうか??

 

荊州 関羽祠 赤兎馬

関羽の愛馬・赤兎馬(せきとば)です。赤兎馬は赤毛で兎のように軽快な走りだったそうだ。

 

荊州 関羽祠 像

おつ、大きな関羽像。その後ろには大きな赤兎馬です。

 

荊州 関羽祠 桃園の誓い

大きな像の後ろには「桃園」とありますね。入りましょう。

 

荊州 関羽祠 桃園の誓い

桃園の誓い」の場面です。中国語では桃園三結義(Táoyuán sānjuéyì)といいます。劉備・関羽・張飛の三人は義兄弟の契りを結び、生死を共にする宣言を行った。

 

荊州 関羽祠

一巡してきました。

 

では次は荊州・鉄女寺へと言ってみたく思います。

 

つづく。