黄鶴楼公園・後編(湖北省武漢市) | 【中国旅行家】momonga-travelのブログ

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旅するモモンガさんの「旅行日記」と「気まぐれ日記」

中国に8年間住んでいたのサラリーマンのモモンガさん。
当時、休日はバックパッカーとなり中国各地への気晴らし旅行。

自称「モモンガ・トラベル China Branch」を経営ということで…

黄鶴楼公園(Huánghèlóu)・後編

訪問日 2022年4月5日(火・清明節)

 

黄鶴楼公園は湖北省武漢市を代表する建物の黄鶴楼(こうかくろう)が立っている。海外よりの出張者が来た時「武漢で有名なところは?」って聞かれると、武漢に住む駐在員が真っ先に出張者を連れて行くのがこの黄鶴楼だ。

 

 

では後半です。行ってみましょう!

 

 

黄鶴楼 宝銅頂

黄鶴楼の東面。奥には黄鶴楼、その手前には「宝銅頂(Bǎotóngdǐng)」がある。この宝銅頂は、清代同治七(1868)年に建てられた黄鶴楼の相輪だ。清代光緒十(1884)年にその黄鶴楼は戦火に遭い灰となった…。

 

黄鶴楼 アイス

さて、私はここで黄鶴楼を見ながらご当地アイスを頂きます!

 

黄鶴楼 千年吉祥鐘

小高い丘に赤い塔が立っていますね。この方向へと向かいます。

 

黄鶴楼 千年吉祥鐘

1999年につくられた「千年吉祥鐘(Qiānnián jíxiǎng zhōng)」。黄鶴楼の方向にむかって鐘を突く(確か有料…)。

 

黄鶴楼

鐘を過ぎて引き続き奥へと進みます。目の前にはお母さんと子どもちゃんが手を繋いています。

 

ツツジ

ツツジかな??綺麗に咲いています。

 

黄鶴楼 涌月台

右手に「涌月台(Yōngyuètái)」という石づくりの建物がある。涌月台という建物が明代に造られたという。それを1992年に再現・再建したものだ。

 

黄鶴楼 白雲閣

涌月台の対面にある「白雲閣(Báiyúngé)」。白雲閣は近年、黄鶴楼公園の整備とともに建てられた建物だ。入ってみます。

 

黄鶴楼 白雲閣

正面にある「歴代黄鶴楼図(Lìdài Huánghèlóu)」。長さ332センチ、高さ262センチの紅木という木材でつくられた屏風だ。2000年に作成されたという。

 

 

白雲閣のなかでは、昔の武漢の写真が展示されていた。

 

黄鶴楼

この写真は日本の絵葉書で「奥略楼より武昌市街の展望」とある。

 

黄鶴楼

またこちらには様々な地点から撮影された当時の武漢市の写真だ。

 

黄鶴楼

これが清代同治七(1868)年に建てられた黄鶴楼の写真。光緒十(1884)年に戦火に遭っていこう、約100年間再建されることはなかった。現在の黄鶴楼は1985年に建設されたものだ。

 

黄鶴楼

当時の黄鶴楼や勝像宝塔、宝銅頂、涌月台などの写真ある。

 

黄鶴楼

ガラス窓よりは現在の黄鶴楼が見えます。では、白雲閣を出ます。

 

黄鶴楼 庭

さて、引き続き奥へと進みます。松に太湖石にツツジ。きれいに位置されていますね。

 

黄鶴楼 牌坊

何基かの牌坊が立っています。これを抜けていきます。

 

黄鶴楼 岳飛亭

左手に見えてきたのが「岳飛亭(Yùe Fēi tíng)」。この亭は1937年に建てられた。亭内にあるガラスに入った碑は明代万暦十(1682)年に彫られた、高さ170センチ、幅110センチの岳飛像だ。元々、武昌の岳飛廟にあったものをここへ移してきた。

 

黄鶴楼 岳飛像

黄鶴楼公園の一番奥へときました。大きな「岳飛像(Yùe Fēi xiàng)」が立っています。岳飛は河南省の出身だが、現在の武昌を活動の拠点であった。死後、顎王(がくおう)として祀られるが、顎とは湖北省を指す。

 『岳王廟 (浙江省杭州市)』岳飛を祀る廟。女真族の金によって奪われた江南の地を取り戻そうとしたら、秦檜(しんかい)の悪事に遭い、無実の罪で投獄・殺された。岳王廟の門門を入ると大きな廟「精…リンクameblo.jp

*こちらは昔、岳陽廟を旅したときのブログ。

 

黄鶴楼

さて黄鶴楼公園の端まできましたが、今度は下に下ります。

 

黄鶴楼 紫微苑

紫微苑(Zǐwēiyuàn)」という牌坊を入っていきます。こちらには庭が整備されています。

 

黄鶴楼 紫微苑

亭が見えます。

 

黄鶴楼 紫微苑

亭の前にはくねくねと曲がった小川があります。

 

黄鶴楼 庭

木々を鑑賞しながら道なりに進みましょう。

 

黄鶴楼 庭

大きな木です。古木でしょうか??

 

黄鶴楼 庭

門が見えました。この門を入ります。また奥にはうっすらと黄鶴楼が見えます。

 

黄鶴楼 碑

池を中心に古い碑が集められ保存されています。いくつかを見てみましょう。

 

黄鶴楼 碑

このように長廊下に碑が集められ展示されている。

 

黄鶴楼 碑

大きく"寿"と彫られている。左端には光緒七年という字が見える。

 

黄鶴楼 碑

これはなんて読むのだろうかな??そう、説明文がないのが残念…。

 

黄鶴楼 碑

これも何かの字を表しているのだと思うけども、何本もの線が彫られ一つの線となっている。

 

黄鶴楼 碑 毛沢東詞亭

池のそばにあるもう一つの碑「毛沢東詞亭(Máo Zédōng cí tíng)

 

黄鶴楼 碑 毛沢東詞亭

毛沢東の筆で『菩薩蛮・黄鶴楼(Púsàmán Huánghèlóu)』という題の詞だ。またこの裏面にも別の詞が彫られている。

 

黄鶴楼

さて奥に見える建物を抜けて、黄鶴楼のほうへと戻ります。

 

黄鶴楼 米芾拝石

米芾拝石(Mǐ Fú bài shí)」。米芾(べいぶつ)とは、宋代末、湖北省は襄陽出身の政治家でもあり書家。この「米芾が石を拝む」という故事があり、それを題材としたものらしい。

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*こちらは、昔、米芾を祀った米公祠を旅したときのブログ。

 

黄鶴楼 崔顥

こちらは唐代の詩人・崔顥(さいこう)が『黄鶴楼』の詩を詠んだところを再現している。"昔人已乗黄鶴去"より始まる詩だが、高校の教科書に載っていたと記憶している。

 

黄鶴楼

黄鶴楼の東の面がみえてきました。石段を上ると黄鶴楼のそばにたどり着きます。

 

黄鶴楼

ここに顔出し?の写真を撮るところがある!(てか、これ写真に写ったひとの顔をくり抜いただけじゃない??

 

黄鶴楼

大牌坊にある出口へと進みます。

 

黄鶴楼 大牌坊

大牌坊を抜ければ出口です。時刻は夕方5時。三時間近くも黄鶴楼公園を散策していた様です。

 

これでおしまい。