#31 ツェタンへの旅路 with アクシデント!(チベット自治区・山南市)
発生日 2022年2月2日(水)
中国旅行にはトラブルが付きモノ
「旅行会社を通しての旅行だから順調に行くかな?」と思いきや、アクシデントに巻き込まれた…。でもアクシデントは、時として自身の成長のきっかけを与えてくれる。
=文書メインになりますが、悪しからず=
ではジャタン・ゴンパ(扎塘寺)からツェタン(沢当/Zédāng)へ向かいます。
では行ってみましょう!
ジャタン・ゴンパ(緑丸)から赤線をたどってツェタン(青丸)へと進む。青線は拉薩からジャタン・ゴンパまでの実際の道のりだ。
①まずツェタンへ向かう目的。
【目的の1つ目】
ツェタンはチベット神話に於いてチベット人発祥の地である。その土地をみたい!
【目的の2つ目】
ユブム・ラガン(雍布拉康/Yōngbùlākāng)という、チベットで最初の築かれた宮殿がある。最初の建設から既に2000年経っているので当時ものは残っていないというが見たい!
【目的の3つ目】
タントゥク・ツォクラカン(昌珠寺/Chāngzhūsì)という、チベット最古と言われる寺院がある。チベット神話にも関わる場所なので拝観したい!
*ツェタンに関してがわかりやすくまとめられていますのでリンクを貼っておきます。
さて、ツェタンへ向う道中です。
車はG349号線をツェタンがある東に向かって走る。
ガイドさんが「あれをみて」といい、車を止めさせた。
ガイドさんが指したのは「黒首鶴」という鳥。黒首鶴はこのあたりで越冬をするのだという。だが、このようにお目にかかるのは珍しいという。2003年、中国の国家一級の保護動物に指定されている貴重な動物という。
進行方向の左手にヤルンツァンポ川(雅魯蔵布江/Yálǔzàngbùjiāng)が見えてきた。
ここはヤルンツァンポ川の景観台。ガイドさんから色々な話を聞いた。
「この河はガンジス川と合流してインド洋に流れる。」
「この河には綺麗で魚も住んでいる。だけれどもチベット人は魚を食べることはしない。チベット人は水葬をする。魚は水葬された肉を食べる。魚を食べることは同胞を食べると同じことだからチベット人は魚を食べない。最近の若い人たちは魚を食べるようにはなったけれども。年寄りは絶対に食べない。」
「昔、この河には橋が架かってなかった。対岸に渡るには船を必要だった。船はいつ出発するかもわからない(人が集まらないと船が出発しない)。お客さんを連れてくるときは一苦労であった」
私はこのようなトリビア的な話はとても好きだ。
②アクシデント発生!!!
何が起きたのかというと、こうだ(話は長くなる)。
ツェタンへ入るには検問を抜けなければならない。
私は、チベットに至る所に検問があるということを初めて知った。
ここまでは良い。そして、、、
ツェタンの検問に到着したのは14時前。検問で係員(公安)に、こう言われた。
1「ツェタンを旅行する外国人は公安局へ行って旅行証の申請をしなくてはならない!」
2「ツェタンに入るには外の省から来た人は48時間以内のPCR陰性証明書が必要」
3「48時間以内のPCR陰性証明書を持っていない人は指定ホテルで隔離!」
4「PCR陰性結果が出るまで隔離ホテルから出てはならない」
私は、パーミット以外に「外国人の旅行証の申請がある」ということを初めて知った。
また、ツェタンを旅行する際には、48時間以内のPCR陰性証明書が必要なことは事前に調べて知っていた。旅行会社へは事前に「PCRの受診を手配してね」と伝えていた。そのつもりでいたら、旅行会社は手配を忘れていたのか、そのままツェタンへと来てしまった…。
ガイドさんの苦しながら「外国人が山南市へ行くには条件が厳しくなった。先日まではここまで条件は厳しくなかった」と釈明する。
でもお上の命令に背く訳にはいかない。
まずは山南市公安局で旅行証の申請だ。
山南市公安局に到着した。
そして待てど暮らせど担当官が来ない。いや、来るわけもない。だって2月2日は祝日だもん…。公安もお休みに突入していた。
そしてどのくらい待っただろうか?
やっと担当官が来て、そして開口一番に「現在、コロナ蔓延防止の為、ユブム・ラガン(雍布拉康)とタントゥク・ツォクラカン(昌珠寺)は封鎖措置がとられている」と。
私は心の中で「えっ??ユブム・ラガンとタントゥク・ツォクラカンを拝観したく、拉薩から200キロもかけてツェタンまで来たのに…。いったい何のためにツェタンへ来たんだ??」と。
30分ほどで、山南市公安局で外国人の旅行証を取得。
だがツェタンへ入ってしまった以上、(PCR陰性結果不所持者は)指定ホテルで隔離となる。「観光ができないのなら帰る」という選択肢はないのだ。
ここが指定の隔離ホテル「山南藍天商務大厦(Shānnán Lántiān shāngwù dàxià)」だ。
隔離ホテルの係員(公安)と色々と確認をすると、、、
①PCR検査員は16時00分にやって来る。
②PCR陰性結果が出るまで約6時間
③結果がでるまでホテルから出るな!
④隔離費用は自己負担!!
私の心の中では、、、
「お上の指示だから逆らえないのはわかる」
「コロナ蔓延対策というのもわかる」
「旅行会社は事前に確認してツェタンはキャンセルするという選択肢もあったんじゃない?」
「結果でるのが6時間後ってつまりは22時過ぎじゃん。」
「結果がでるまで外に出れないだって?」
「こんなチベットの山奥まで連れてきて、観光はできない・ホテルから出れない。踏んだり蹴ったりじゃん…」
「隔離を理由に、この超スーパーど田舎に外国人を一人閉じ込める気かい???」
「いったいツェタンに何しに来たの?わざわざ隔離をするためにツェタンまできたのか?」
「結局、ツェタンに来た意味はなく、何もかも全てがパーじゃん!!!」
「万が一陽性となったら、このド田舎で数週間隔離は嫌だよ…」
「おまけに隔離費用は自己負担って、旅行会社がしっかりしていればこうならなかったのに…」
それらを考えると
私はイライラで沸騰寸前。噴火・大爆発しそうであった。
一方、ガイドさんは係員と調整をしており、アクシデントの対応をしてくださっていた。
一方、自分は自分で気持ちを抑えようと耐える…
1階の隔離ホテルのロビーだ。これより6時間耐久がスタートする。
エレベーターなかの「歓迎」の字が皮肉に見え、とても苛立たしく感じる。
ここが隔離部屋だ。まだ外は明るい。そしてしばらくして検査員のおじちゃんがやって来る。
PCR検査員のおじちゃんが「最近、中リスク高リスクの場所へ行ったことある?」と質問する。
私は不機嫌でもあったので「もし、中リスクや高リスクの場所へ行ったことあれば、私はここにいないですよ。既に捕まっていますよ」と答えた。
検査員のおじちゃんは「うん、わかっている。一応聞いてみただけだ」と。
検査は簡単。検査の棒を口の中をぐるぐる回して終わり。
ツェタンでも「美団(Měituán)」という出前アプリが使えることがわかってご飯を注文。自腹+一人寂しく隔離部屋内での昼ご飯、兼、晩御飯。そうだ、この日は昼飯すら食べてなかったんだなぁ。
隔離部屋の中で何をやっていたのだろう?今となっては思い出せない。相当、イライラが募っていたのだろう。覚えているのは、エアコンの暖房をつけても部屋のなかがとても寒く、ベッドの中に入っていたことぐらいだ。
いつの間にか外は真っ暗。雪が積もっているのも見え、とても寒く感じる。
ドアがコンコンコン!
時間は夜の22時過ぎだ。
ドアを開けると白い防護服を着た担当の人がきて「出ていっていいよー!」と。
こちらが6時間耐久で手に入れたPCR陰性結果証明書だ。この紙切れ1枚のために6時間も隔離とは…
人気すら感じられない隔離ホテル。このホテルともおさらばじゃ。
そしてガイドさんとドライバーさんが迎えにくれてた。
迎えに来てくれる間、私はフロントの女の子とたちとおしゃべりを楽しんでいた。そして笑ったりもした。すでに怒りはいつの間にか消えていた。
こちらがツェタンでの宿泊のホテル「沢当飯店(Zédāng fàndiàn)」
沢当飯店へ到着した。ただ寝るためだけにツェタンで一泊することとなってしまった。
でも、隔離から解放されて自由の身となり、気持ちはすこぶる良い。
ホテルの部屋の窓から外を見ると遠くに山影が見える。でも星空は見ることができなかった。
③学んだこと!!!
正直、旅行会社のPCRの手配漏れや陰性結果が出るまでの6時間のホテル隔離、行きたい場所に行けないで、気持ちはイライラした。
でも、ガイドさんが懸命に対処する姿を見た私は自然とイライラが収まっていった。
そして思った「一人の外国人のために、それもこんな片田舎の山奥の街で、なんでここまで対応してくれるのだろうか?確かにそれがガイドさんの仕事なのかも知れないけども、腹立ててガイドさんをまくし立てても意味がないよな。なにつまらない事でイライラしてるんだろう。怒るのを辞めよう」と。
ガイドさんが迎えにきたとき、私は「ありがとうございます!」と自然と言えたし、また迎えに来たドライバーさんには「やっと釈放されたよ、あははは」と冗談もいえたのを覚えている。
このチベットの地で怒りを抑えることを勉強した上に、今までつまらない事に腹を立てていた自分が恥ずかしく思えた。自身の行いを変える機会となった。
④後日談。
この旅行は、私の勤め先の旅行部門を介して予約をした。チベットから帰ってきたら、旅行部門の担当者が「色々とあり申し訳ございませんでした」と私に謝りがあった。どうも、チベットのガイドさんからこのアクシデントの顛末の報告が上がっていた様だ。ふつう中国では、このような報告は上がってこない…。「悪い事でもしっかり対応されたのだな」と改めて感心した。
また、日本の同僚から「最近どうしたんですか?今まで怖いイメージがあったんですが…。」と怪しがれる始末(笑)。
チベットでのアクシデントが私を大きくしてくれたような気がする。これこそチベットマジックかな??
2月2日はこれでおしまい。
あしたへ続く。