盤龍城遺址博物院(Pánlóngchéng yízhǐ bówùyuàn)
訪問日 2021年11月7日(日)
武漢市内にある今から約3500年前の殷代の南部の遺跡。武漢空港の方向にある。
ではどのような遺跡なのか見てみましょう!
地下鉄2号線の盤龍城駅を降ります。
駅を降りて徒歩で行けます。
開館は9時から17時までで、毎週月曜日は閉館日だそうだ。
博物館内には3つの常時展と1つの臨時展があるようだ。
1954年に長江が氾濫しそうになり、盤龍城の土を削り武漢漢口へ運び堤防を造ったのだが、盤龍城の土を削ると土器やらなんやら出てきた。
当時、国民党軍が残していった測量図を見ると、盤龍城は四角形であり古代遺跡があるのでは?と推測。そこで掘ってみるといろんなものが出てきた。
「2号展示ホール」
「盤龍城1号宮殿復元」
東西方向39.8m、南北方向12.3mの長方形の建物で、残された基礎の跡からこのような大きな建物だったと推測。
また発掘調査から、当時盤龍城には2万〜3万人が暮らしていたと思われ、非常に大きな古代都市であった。
「高級貴族」の墓よりの出土品。
高級貴族と思われる墓には、たくさんの青銅器や玉器のほか、奴隷と思われる殉葬もあった。
「一般貴族」の墓よりの出土品。
一般貴族と思われる墓には、青銅器や玉器や陶器が出てきた。しかし殉葬者はみられない。
「一般庶民」の墓よりの出土品。
一般庶民と思われる墓には、動物の骨のほか、陶器が出てきた。だが青銅器は出てこなかった。
墓からの出土品から、青銅器は位が高いものでないと持てないということがわかる。また位は墓の大小にも関係していたりとする。
盤龍城には職業軍人がいたことを証明する資料はないが、貴族の墓より青銅製の武器が出土していることから、貴族が邑(むら)の防衛をしていたのではないかと思われる。
「銅具面」
どのような目的かはわからないが、盤龍城遺跡より発見された。
写真は盤龍城より出土した青銅製の酒器であり、飲酒文化があったのではと言われる。
また青銅製の武器も数多く出土している。
「3号展示ホール」
3号展示ホールは、盤龍城遺跡と他地域の遺跡との関連性についての展示となっている。
盤龍城遺跡の王家嘴4号墓より殷代の文化圏であることがわかったようだ。
また玉だが、中央の玉は盤龍城遺跡で発見された。左右の玉は四川省で発見されたものだが、形状が似ていることから、他地域との交流があったと思われる。
盤龍城遺跡では、青銅を鋳造した跡が発見されていないことから、中原地区で製造されたものが盤龍城へ到達したのではと思われている。なので、盤龍城遺跡は中原より統治が認められた邑(むら)ではないかと思われる。
陶器に関していうと、中原発祥ではなく、今の江西省が発祥で、そこから北上していったと思われるそうだ。
盤龍城遺跡でわかっていない8つのこと。
1、盤龍城は殷王朝の直接統治なのか、軍事拠点なのか、属国だったか不明。
2、大規模な盤龍城はなぜ滅びたのか不明。
3、盤龍城で出土した玉は新疆のホータン製かもしれない。
4、盤龍城で出土した黄金飾はどこからきたか?盤龍城に金を鋳造する技術があったか不明。
5、盤龍城で出土した象牙はどので取れたものか不明。
6、盤龍城の殷代の古代の年の呼び名が不明。
7、盤龍城の統治者は男性か女性か不明。
8、盤龍城に城壁があったか不明。
「臨時展」
個人的に意外な収穫であったのがこの臨時展。
「獣面紋銅觥」
西周。湖北省隋州葉家山で出土。形状が特殊ながらも酒器という。
「銅人面具」
殷代。四川省広漢三星堆遺跡より出土。2021年三星堆遺跡から金の仮面が出土し非常に話題となった。
「銅人頭像」
殷代。こちらも四川省広漢三星堆遺跡よりの出土品。
「蟠龍獣首銅罍」
西周。湖北省隋州葉家山より出土。
「曽侯丙方缶」
戦国中期。湖北省隋州文峰塔より出土。表面には細かな装飾が加えられている。現在、どの青銅器もどのようにこのような細かな模様を入れたのかいまだに不明である。