今日も寒かったですね
ショッピングモールをブラブラしていたら
新一年生グッズがたくさん売られており
懐かしいな〜とのぞいているうちに
よみがえった遠い日の記憶 お約束
愛知県に住んでいた頃
次女が小学校に入学し新一年生となり
何日か経って
宿題が出るようになりました
国語のノートに「あ」のつくものを
5つ書きましょう
翌日の宿題は「い」のつくものを。
3日目は「う」
…もう嫌な予感しかしない
日本全国
小学1年生の「う」のつくものといえば
アレしかないだろう
待ってましたとばかりに
次女のノートはもちろん
う○こ で始まり
う○ち
そして 「うしのう○こ」
「うさぎのう○こ」「うさぎのう○ち」と
あらゆる手を尽くし
5つとも全てそれにまみれていた
勢いが止まらず
「うし」と「うさぎ」だけでは
情熱を抑えきれないようだった
そして算数
初めて二桁の足し算が出てきた時
宿題に頭を悩ませ 答えがわからず
指おり数えて計算するけれど
足の指まで使っても数が足りない
さてどうするかと遠くから見ていたら
何かを思いついた次女
「長女ちゃーん
はいっ!ではクイズです
13たす9はなんでしょう〜かっ」
テレビを見ていた長女に
後ろからそう問いかけ
「22」と長女が答えると
「ピンポンピンポン
正解です」
そう言いながら
口角の片方だけがニュッと上がった
とても悪い顔をして
ササッとノートに書いている姿を
台所から目撃してしまい
昔の自分を見ているようだった
2年生の時
次女が長女の逆鱗に触れてしまい
長女から叱られていた
いつもなら
おまえのかーちゃんでべそレベルの
不発弾で反撃するものの
その日は叱られて説教されてる間中
ずっと沈黙を続け
最後にボソッと一言
「……What? 」
そして3年生の時
社会のテストで
農業人口の推移の棒グラフ
確かこんな感じ
この棒グラフを見て
思った事を書きましょうという問題
3年生なので
昔は農業が主な仕事だった とか
農業をする人がこのまま減り続けると
お米も野菜も全部
外国から買わないといけなくなるから
困る とか
そんな答えが求められているだろう
けれども
返ってきた答案を見ると
何の迷いもなく
「階段みたいで
ちょっとこわいです。」
と書いてあり全身の力が抜けた
_(┐「ε:)_
そして私は最後の力をふりしぼり
「こんな階段怖いよねえ…」
とだけ言った記憶がある
4年生からマレーシアに行き
ますます自由度が加速し
日本の高校生になった今でも
あの頃を彷彿とさせる事案がたまに
発生しているけれども
もうこのまま自由にどこまでも
好きなように突き進んでいってほしい
と思う母なのでした
シロノワールがハート型でした♡︎ʾʾ