電脳はるのぶ 消灯時

 

透視図法に関して版画家の海老塚耕一が「ファシズムだ!」と驚いた話は納得できる。

理性のパースペクティブの元にすべてを統一させることは、東洋的な感覚からすると全体主義にも見える。

キリスト教もまたバチカンを世界の頂点にして(カソリック)、全世界をキリスト教徒にしたいという、他宗教からするとファシスティックな野望を持っているように見える。もっともどの宗教でも同じであろうが・・・。

 

さて、ここでラトゥール(ジョルジュ)に焦点を当てたい。

ご存知の様にラトゥールの代表作には室内にろうそくの明かりが煌々と輝いている作品が多い。

「ともしび」そのものに同じ意味があるのだが、透視図法を使わずとも取り分け室内ならば、すべてはろうそくの光源に反映を受ける。

ここで大事なのはろうそくの位置を変えると反映もすべて変化するし、本数を増やすと光源も増える。

屋外日中の空間ならば、反映というよりさんざめく光のハーモニーとなる為、これは東洋的な「神の遍在・八百万な万物心霊」的ヴィジョンであろう。

「無限遠の空間にストローク」という、今日流行している絵画のパターンに色々考察をしてきたが、とりあえずここで一旦擱筆とする。