アプサラ アップ

 

 ・・・人の縁も一緒で、「魂を電気信号とするならば」の回に「電流が通れば直交する磁界ができるから、凹型ができる」と書いた。

 そしてその凹型は肉体や人生という「占有された時空間」と「図と地」の関係を作る。勿論凹型は「地」の方で、個体・個人という「図」に対して他のすべての「図」に対しても大部分をシェアしあっている関係になる。

 これは3次元空間の話で、そもそも電流が通る事自体が「電子が移動>電荷を帯びた極細の空間がその性質を隣に受け継いでいく」という事らしい故、より高次のレベルではなるべくしてなっている縁と言えるのではないだろうかめ?

 とてつもなく遠距離に散らばった鏡が反射鏡として焦点を結んでも、鏡を確認できないと、突然あるポイントが高熱になる、というたとえの方が解りやすいかも。

 従って「縁」というのは高次の関係の3次元下の投影といえるし、上の「地」のシェアリングで考えると、個体が滅びても命が滅びる訳ではない、と言えないだろうか?

 これには別の副産物も生じるので、次回にもう一度考察して今回のまとめとしたい。