妖怪の部屋|口裂け女



誰の答えを探し続けていたのだろう

マスクで口元を隠した女が、帰り道の子どもに問いかける。

「私、きれい?」

「きれい」と答えると、女はマスクを外す。
耳元まで裂けた口を見せ、もう一度尋ねる。

「これでも?」

口裂け女は、1978年末ごろから岐阜県で噂され始め、1979年の春から夏にかけて、主に子どもたちの口コミを通して全国へ広がった都市伝説とされている。噂は語り継がれるたびに姿を変え、赤いコート、鋏、速く走る姿、整形手術の失敗、夫に傷つけられた女性など、さまざまな設定が後から加えられていった。そこに、ひとつだけ確定した「彼女の過去」があるわけではない。

それでも、多くの語りの中心には、変わらず同じ問いが残った。

「私、きれい?」

なぜ彼女は、相手の名前も気持ちも尋ねず、
自分の美しさだけを確かめようとしたのだろう。

女性の顔は、長いあいだ人の視線にさらされてきた。

美しいか。
若く見えるか。
愛される顔か。
人前に出してよい顔か。

その評価は、ときに本人の性格や言葉、生き方よりも先に置かれる。
美しさは誉め言葉であると同時に、失ってはならない価値として女性に求められてきた。

口裂け女の問いには、正解がない。

「きれい」と答えても終わらない。
否定すれば怒りを買う。
曖昧に答えても、逃げ道にはならない。

それはまるで、外見を評価される側が置かれてきた場所そのものにも見える。

美しいと言われなければ傷つく。
美しいと言われても信じられない。
一度評価を受ければ、次の瞬間にもまた確かめたくなる。

他人の答えによって価値を与えられてきた者は、
いつしか他人の答えなしでは、自分の姿を見られなくなる。

口裂け女は、ルッキズムを訴えるために作られた妖怪だと確認されているわけではない。
けれど、時代の中で語られ、姿を与えられていく都市伝説には、人々の不安や価値観が映り込む。口裂け女もまた、子どもたちの噂や雑誌・新聞の報道を通じ、社会の中で意味づけられていった存在だった。

だから今、彼女の問いを聞き直してみる。

「私、きれい?」は、
本当に美しさを褒めてほしいだけの言葉だったのだろうか。

その奥には、

傷ついた顔を見ても、ここにいてよいのか。
美しくなくなっても、ひとりの人間として扱われるのか。
顔ではなく、私自身を見てもらえるのか。

そんな、声にならなかった問いが隠れていたのかもしれない。

彼女に必要だったのは、
「きれい」か「きれいではない」かという判定ではない。

美しさを証明しなくても、
顔を隠さなくても、
誰かの基準を満たさなくても、

存在を拒まれない場所だったのではないだろうか。

口裂け女は、今も問い続けている。

けれど、本当に見つめるべきなのは、
裂けた口ではない。

その問いを何度も口にしなければならなかった、
彼女のいる世界の方なのかもしれない。



誰の答えを探し続けていたのだろう。