第三十四夜 回想編
ここに置いてくれ
左衛門。
この津田を取り仕切る長。
その名を聞いた途端、六右衛門の頭にひとつの考えが浮かんだ。
こいつについていけば。
いつか。
いつか、あいつらの鼻をあかせるかもしれん。
「おっさん」
「おっさんはやめ。左衛門や。わしにも名前はある」
左衛門は六右衛門を見た。
「お前は、名をなんという」
「わいは六右衛門や」
「ほほう」
左衛門の目元が少し緩んだ。
「わしが左衛門で、お前は六右衛門か」
「……なんや」
「いや。別に」
六右衛門は少し黙ったあと、左衛門を見た。
「なぁ、左衛門さんよ」
「なんじゃ」
「わいを、ここに置いてくれんやろか」
左衛門は何も言わなかった。
六右衛門は続けた。
「さっきまでの無礼は謝る」
深く頭を下げる。
「わい、帰る場所がないんや」
「帰る場所がない?」
「あいつらに捨てられた」
「あいつら?」
六右衛門は唇を噛んだ。
「……両親や」
左衛門の目が六右衛門へ向く。
「実の両親に捨てられたんや。わい」
口にすると、胸の奥がまた痛んだ。
雨の中で待ち続けた時間が蘇る。
けれど六右衛門は顔を上げた。
「頼む!」
声が響いた。
「何でもする。どんなことでも耐える。やから、ここに置いてくれ!」
左衛門はしばらく六右衛門を見ていた。
そして言った。
「それなら、まず言葉遣いからやり直せ」
「……」
六右衛門は慌てて姿勢を正した。
「すんませんでした」
「うむ」
「わいを、ここに置いてください」
「うむ」
「何でもします。なんだって耐えます」
左衛門は腕を組んだまま六右衛門を見つめた。
やがて。
にやりと笑った。
「好きにせえ」
それだけ言うと、左衛門は部屋を出ていった。
六右衛門は頭を下げたまま固まっていた。
しばらくして、そっと顔を上げる。
「……え?」
誰もいない。
「好きにせえ……て」
六右衛門は閉じた戸を見つめた。
「……ここにおってええんか?」
返事はなかった。
けれど。
追い出されもしなかった。
六右衛門はもう一度、空になった雑炊の椀を見た。
雨の音は、まだ外で続いていた。
それでも今夜は。
もう、雨に濡れなくてよかった。