第五十四夜|探したんやけん


六右衛門のもとを出たあとも、鷹はすぐには飛び立てなかった。


空は晴れている。


小姫と金長がいる方角も分かっている。


翼を広げれば、すぐに行ける。


それでも鷹は、六右衛門の言葉を胸の中で繰り返していた。


『身を引くことと、逃げることは違う』


『小姫の前から、何も言わずに消えることを、優しさやと思うな』


鷹は二匹の幸せを願っていた。


その気持ちに嘘はない。


金長にとって、小姫は大切なたぬきだった。


小姫が金長を見つめる目も、鷹はずっと知っていた。


ならば自分が離れればいい。


そう思った。


けれど昨日、小姫は何度も自分の名を呼んだ。


金長も山を歩き、自分を探していた。


鷹が作ろうとした二匹の形の中には、二匹の気持ちが入っていなかった。


鷹はようやく翼を広げた。


*


その頃。


小姫と金長は、昨日とは違う山道を歩いていた。


「今日も探すん?」


金長が聞いた。


「探す」


「どこにおるか分からんのに?」


「分からんけん探すんやろ」


小姫の返事は早かった。


金長はそれ以上、何も言わなかった。


昨日も二匹で探した。


鷹がよく翼を休める木。


小姫が以前、足を滑らせた崖。


三匹で雨宿りした岩陰。


どこにもいなかった。


「鷹ー!」


小姫の声が山へ響く。


返事はない。


「鷹! おるんやろ!」


また返事はなかった。


小姫は唇を噛んだ。


「なんで返事せんの」


金長は空を見た。


「聞こえてないんかもしれん」


「聞こえとる」


「なんで分かるん」


「分かる」


根拠などなかった。


それでも小姫には、鷹が遠くへ去ったとは思えなかった。


近くにいる。


声も届いている。


なのに姿を見せない。


そんな気がしていた。


「私、なんかしたんかな」


小姫が小さく言った。


金長は答えられなかった。


「邪魔者や言うたん、まだ気にしとるんかな」


「鷹が勝手に言うただけやろ」


「ちゃんと違うって言えばよかった」


小姫は立ち止まった。


「もっと、ちゃんと言えばよかった」


金長は小姫を見た。


いつもなら、鷹がいなくてもそのうち戻ると言っただろう。


けれど今日は言えなかった。


鷹は昨日、戻らなかった。


今日もまだ姿を見せていない。


金長にもようやく、いつもとは違うことが分かり始めていた。


そのとき。


頭上で、大きな翼の音がした。


小姫が顔を上げる。


木々の隙間を影が横切った。


「鷹!」


鷹は少し離れた枝へ降りた。


いつものように、小姫のすぐそばへは来なかった。


小姫は鷹を見上げたまま、動かなかった。


探していた。


会いたかった。


無事な姿を見たら、それだけで安心すると思っていた。


けれど実際に鷹を見つけた瞬間、胸に溜めていたものが一度に溢れた。


「どこ行っとったん!」


鷹は何も言わなかった。


「昨日も呼んだんよ!」


「……聞こえてた」


小姫の顔が変わった。


「聞こえとったん?」


「うん」


「ほな、なんで返事せんかったん!」


鷹は嘴を伏せた。


「少し、考えたかった」


「何を?」


鷹は答えなかった。


小姫は怒っていた。


けれど、その目の奥には涙があった。


「勝手におらんようにならんといて」


声が震えた。


「私ら、探したんやけん」


鷹が顔を上げる。


小姫の隣には金長がいた。


二匹で自分を探したのだ。


自分が望んだはずの二匹が、二匹で鷹を探していた。


金長が鷹を見た。


「小姫、昨日からずっと空ばっかり見よったぞ」


「金長、それ言わんでええ!」


「ほんまやろ」


小姫が金長を睨む。


その顔を見て、鷹の胸の奥で張り詰めていたものが、ほんの少し緩んだ。


二匹の間へ戻ってよいのかは、まだ分からない。


これからどうすればよいのかも分からない。


それでも。


黙って消えることだけは違う。


鷹は枝から降りた。


小姫と金長から少し離れた地面へ。


「ごめん」


小姫はすぐには返事をしなかった。


やがて鼻をすすり、そっぽを向いた。


「……遅いわ」


怒った声だった。


けれど小姫は、もう空を探していなかった。