第六夜 回想篇
商売繁盛 二

大和屋の暖簾をくぐる客は、日に日に増えていった。

「この色、ええなあ」
「こっちも見せてもらえる?」
「この前買うたんが良かったけん、また来たんよ」

一人が一人を呼び、その一人がまた誰かに話す。金長が町へ落とした小さな噂は、もう金長が歩き回らなくても、人から人へ渡るようになっていた。

茂右衛門は朝から大忙しだった。

染め場へ行ったかと思えば客に呼ばれ、品を包んだと思えばまた次の客が来る。

金長は店の隅から、その様子をじっと見ていた。

――忙しそうや。

客が増えれば茂右衛門は喜ぶ。

それは間違っていなかった。

けれど、あっちへ行ったりこっちへ来たり。座る暇もない茂右衛門を見ているうちに、金長は思った。

――俺にもできること、ないんか。

染物には触るなと言われた。

染め場にも入るなと言われた。

ならば、それ以外をやればいい。

金長は辺りを見回した。

店先には落ち葉。隅には荷をほどいたあとの紐。棚の下には小さな紙くず。

――あるやないか。

まず箒を持った。

今度は戸も確認する。

閉まっている。

――よし。

以前のように落ち葉を店の中へ飛ばすわけにはいかない。

せっせ、せっせ。

掃いて、集めて、外へ運ぶ。

次は紐をまとめる。包みを片付ける。客が帰ったあとの座布団がずれていれば、前足で押して戻す。

少しくらい曲がっていても、金長には真っ直ぐに見えた。

「……なんやこれ」

戻ってきた茂右衛門が、妙な向きに並んだ座布団を見た。

金長は得意げに座っている。

「お前か」

金長は胸を張る。

茂右衛門はしばらく座布団と金長を見比べ、笑った。

「まあ、ええわ。ありがとな」

金長の尻尾が揺れた。

それから金長は、できることを次々に見つけた。

掃除、片付け、客が来れば茂右衛門を呼びに走る。茂右衛門が何かを探していれば、一緒になって店中を探す。

頼まれてもいないのに、とにかく働いた。

ある日には、店先で客を迎えていた。

「まあ、狸がおる」

客が足を止める。

金長はちょこんと座ったまま、逃げない。

「ここの狸なん?」

「いつの間にか居ついてしもうてな」

茂右衛門が笑う。

「かわいいなあ」

頭を撫でられた金長は、少しだけ偉そうな顔をした。

そのうち、

「狸のおる染物屋」

とまで言われるようになった。

金長を見たくて寄る者もいた。

染物を買いに来たはずなのに、まず金長を探す客までいる。

「今日は狸さん、おらんの?」

そんな声が聞こえると、奥から金長が顔を出す。

「あ、おったおった」

なぜか喜ばれる。

金長にはよく分からなかったが、客が笑い、茂右衛門も笑っている。

ならば、それでよかった。

いつしか、静かだった大和屋には毎日のように人の声が響くようになった。

暖簾は朝から夕方まで何度も揺れ、茂右衛門の手には以前よりたくさんの銭が残るようになった。

ある晩。

店を閉めた茂右衛門が、帳場で銭を数えていた。

金長はその横に座っている。

「金長」

呼ばれて顔を上げる。

「最近な、大和屋、えらい繁盛しよるんぞ」

金長は首を傾げた。

知っている。

誰よりも知っている。

「不思議なもんやなあ。急に評判が広がって」

金長は知らん顔をした。

茂右衛門は銭を置き、金長の頭を撫でた。

「お前が来てからやな」

金長の耳が動く。

「福でも連れてきたんか?」

茂右衛門は冗談のつもりで笑った。

けれど金長は、その言葉を胸の奥へ大切にしまった。

福なんて大それたものではない。

ただ、恩を返したかっただけだった。

助けてもらった命で、茂右衛門を少しでも喜ばせたかった。

それだけだった。

金長は茂右衛門の手に、そっと頭を押しつけた。

「なんや。甘えたになったんか」

違う。

けれど、それを伝える言葉はまだいらなかった。

賑やかになった大和屋の夜。

一人と一匹は並んで座っていた。

金長の小さな恩返しは、いつの間にか店いっぱいの笑い声になっていた。