阿波狸合戦。
徳島の地に残る、不思議で勇ましい狸たちの物語。
人と狸のあいだに生まれた恩、誇り、約束。
それはやがて、阿波の山野を揺るがす大きな合戦へと繋がっていく――。
この物語は、
ただの昔話ではなく、
情けと執念、義と誇りが交差する
もうひとつの阿波の夜の記憶。
月の下、硝子のきらめきを纏いながら、
今ここに、阿波狸合戦の物語を綴っていきます。
阿波狸合戦
恩義篇 ― 松の大木 ―
まだ、争いの気配などなかった頃。
松の大木の下で、ひとりの男が傷ついた狸を抱き上げた。
夜気は冷たく、月の光は静かだった。
男は何も言わず、ただその小さな命を見つめていた。
その手のひらにあるのは、わずかな銭。
施しのようにも見えたし、
何かを託す約束のようにも見えた。
狸は鳴かない。
暴れもしない。
ただじっと、その人の手を、目を、ぬくもりを覚えていた。
受けた恩は、忘れぬ。
それが人の道なら、狸にもまた狸の道がある。
この夜に結ばれた、小さな縁。
それはまだ、誰にも知られぬほどささやかなものだった。
けれどその恩義は、
のちに阿波の地を揺るがす大きな物語の火種となっていく。
人と狸。
異なるようでいて、どこか似ているもの同士。
情けを受ければ、心が動く。
誇りを持てば、道を違えぬ。
こうして、
静かな月夜の松の大木の下から、
阿波狸合戦はそっと始まったのである。

