こんばんは
三連勤終わりました!
元気が回復し、働き始めて4ヶ月経ってスタッフさんと色々な話ができるようになり、だいぶ“素”で働けるようになってきました
以前の反省から、『最初からフルスロットルでいかない』ようにしていて、ただそれだと距離をはかりすぎてなかなか自分の思いを伝えにくく…。
スタッフさんの個性を実はこの4ヶ月間観察していまして
“観察”というと怖いとよく言われるのですが、どんな声掛けの仕方をしたらいいのか、どんな風にお願いしたらいいのか、チームで働くために円滑なコミュニケーションをとるための方法と考えています
“観察”は看護師の習性のようなものですしね…
本来私は笑いをいれつつ声掛けしながら仕事をするタイプなのですが、様子見期間の間は控えめにしていたので(あと、元気がなかったので)、「こんなキャラやったん?!」と連日言われています
私は仕事をしている自分が好きです。
だから仕事が充実しているかどうかが生活の質に直結します。
ここ数日、自分でもびっくりするくらい前向きだし、毎日が楽しいです
でも、無理に元気になろうとか、興奮してるとか、そういう感じではなく、自然に前向きになる感じです。
仕事が充実しているので、ブログも順調に更新できています
ブログをお休みして再開してからの変化として、自分の気持ちを素直に書きやすくなったということがあります。
そして、感情に任せて書き連ねるのではなく、今まで以上に丁寧に、大切に言葉を紡ぎたいと思うようになりました。
色々あって強がらなくなって、肩の力が抜けているからかもしれません。
娘の不登校を通して、私自身についても見つめ直す機会になり、発達障がいについて学ぶなかで、自分自身が発達障がいの可能性について気付きました。
そのことで、無理に頑張らなくていいと思えるようになりました。
私には色々と苦手なことがあって、それは看護師をしたり、妻や母として過ごすなかで障害となることもあります。
できない自分を「駄目な人間」と思うことも、今までの人生で幾度もありました。
私は鬱を二度経験していますが、それは今までの人生のなかで何度も“生きづらさ”を感じてきたからです。
昨日書いたHSPの特性から深く処理する面もあり、余計に苦しかったのだと思います。
「何故自分はこんな風なのか」
「何故みんなのように出来ないのか」
思い返せば、物心ついてからずっとその想いに囚われていた気がします。
母との関係も私の人格形成に大きな影響を及ぼしました。
今はだいぶ関係性が改善しましたが、今でもなお母と相容れない部分があり、私自身が母として、ひととして生きる上での反面教師のように思っている部分があります。
HSP、母との関係、看護師であること、鬱、PMS、そして発達障がい。
点と点だったことが娘の不登校を通して一つの線で繋がり、幼い頃から感じ続けていた“生きづらさ”の理由がわかりました。
何もわからないなか、今までよく頑張ってきたなと自分を労わる気持ちが芽生え、自分を責めることが減りました。
そして悩むたび、幸せなことに掬い上げてくれる方がいました。
悩み多き人生ですが、同時に幸せな人生かもしれないと思うようになりました。
ここ数日ブログを書くたびに答え合わせをしているような気持ちになっています。
以前ご紹介したこちらの本を参考にしながら、今日はADHDについて書きたいと思います。
主な発達障がいにアスペルガー症候群、ADHD、LD(学習障害)があります。
ADHDには不注意優勢型、多動・衝動性優勢型、どちらも目立つ混合型があります。
私に当てはまるのは、混合型かなあ、と思います。
ADHDの特徴で、自分に特に当てはまるなと思うのが次のようなものです。
①段取りよくできない
④毎日の家事がうまくできない
⑤片付けができない
⑥事務的なことが苦手
読み進めるたび、自分のダメなところだと思っていたところが次々と出てきて、「これ、自分のことだ」と思いました。
今までなぜできないんだろう?と自問自答したり責めたりしていたのですが、『できない理由』についての図解をみて、できないのには理由があったんだなあ、と納得しました。
ADHDをパトーナーに持つ場合、どう支えていいか悩むこともあると思います。
自分自身、こうしてくれたら助かるな、と思いました。
母との関係について少し…。
先日の火曜日、母の日のプレゼントとして母を誘い、娘と3人で食事をしました。
母と私の関係は一時期最悪で、その時に感じたしんどさから自分を守るために、最近は付かず離れずの距離をとることにしています。
自転車で30分足らずの距離に住んでいるのですが、会うのはお正月以来でした。
というのも、元気ない時に会いたくないNo.1が母だからです
母と話すと、必ず一度はイラッとしてしまう発言があり、イラッとしてしまう自分に自己嫌悪を覚えるというスパイラルがあります。
私はこの三年間で転職を繰り返していますが、母にはそのうちのいくつかしか話していません。
それは、転職を繰り返している理由を説明したくないからと、転職を否定されるだろうな、と思ったからです。
ようやく今の職場で落ち着きそうなので、母に今の職場のことを話しました。
すると、やはり、「仕事よく変わるねぇ。変わりすぎじゃない?」と言われました。
一般的に考えたら事実そうだと思いますが、体調不良や娘の不登校など、転職せざるを得ない理由があり、その都度凄く悩んで決断してきました。
転職した理由を話しても、本当の意味で理解してもらえるとは思えず、とりわけ、娘が不登校だったことは、母には一生言うつもりはありません。
娘が「弱い子、ややこしい子」とレッテルを貼られるのが目に浮かぶからです。
母のこの見方に幼い頃の私は苦しめられたので…。
幼い頃から母の発言に傷つけられることが多く、
母にもう詳しく自分のことを話そうと思えなくなっています。
母が厄介なのは、自分は正当なことを言っていると思っているため、たとえ相手を傷つけても、本当のことを言って何が悪いの?という考え方で悪気がないことです。
親戚からも“ちょっと変わっているよね”という表現をされています。
前はそんな母を批判的に見ていました。
でも、実の母を否定するのも嫌でずっと悩んできたなかで、『母と私は違う人間である』、『母は母親である前に一人の人間である』と、母と自分を切り離して考えられるようになりました。
母には母の考え方があっていいと思います。
でも、私について、何が正しくて何が間違ってるとかジャッジしてほしくない。
前の記事で『普通』について書いて、コメントやメッセージをいただき、自分の“普通”を大切にするということの大切さをしみじみ感じました。
こういう反応をいただき、考え方を深められるのがブログをする醍醐味だなあ、と思います
ゆふさん、しまさん、ありがとうございます
ブログをはじめてから、私は少し優しくなれた気がします。
必要以上に自分を守ろうとしなくなりました。
肩肘をはらなくても、わかってくれるひとはわかってくれるとわかったからです
実生活でも精神的な余裕がもてるようになりました
私のブログによく登場するKちゃんとはシェアしていることが多く、エステもそのうちの一つです。
エステのスタッフさんとKちゃんの話をしていて、Kちゃんが仕事を楽しそうにしているのが嬉しい、誰かの輝く顔がみれると幸せだなと思う、という話をしていました。
この言葉をサロンのキャッチコピーにしてくれたと先日エステに行ったときに聞き、嬉しかったです
私の人生の目標は、自分の周りにいるひとを笑顔にし、幸せにすることなんだと最近実感しています。
それに自分のHSP &HSS、ADHD(かも?)の気質が役立っている気がして、それも嬉しいです
今回の記事はADHDの概要について書きました。
次回以降、具体的な対処法について書きたいと思います。
週末ですね
良い週末をお過ごしください
それでは、また