妊娠の血液判定は明らかにマイナスだった。
転院して初めてマイナス。
転院するまでは3/3マイナスだったので
この判定に免疫はついていた。
でも今回は、ここの凍結卵子がラストなので
結果発表を1人で受けるのは重いと
言っていたら前日夜、
明日一緒に行こうと
夫が1日休みをとってくれた。
この結果を受けるまで、
夜中に何度も目が覚めたり、
仕事が増え続ける毎日で、
結果を楽しみに待つ気持ちを
持たなければという
色んなプレッシャーがあったように思う。
もう、採卵は考えていないが、
転院元に胚盤胞の凍結卵が2つあるので、
グレードが悪い(BCx2)が
それを戻してみたい、
以前、その卵は難しいだろうと
両病院で言われていますが…。
じゃあそれを迎えに行きますか、と、
主治医は、転院元への紹介状の返事に、
その移植を希望と出しましょうと、なった。
そして、ここでしか出して貰えそうにない
子宮フローラの膣錠サプリなどは
先に出してもらった。
このやりとりの間、診察室で、
傍にいる夫は
ほとんど言葉を発することはなかった。
ホルモンシールをはがして4日後、
生理が始まり、やはり血液量は多くなかった。
ふかふかのベッドを用意できなくて
ごめんねと
届かない言葉が回る。
内膜が薄くてシールを増やして
日数も増やしたことを考えると、
いい条件が何も揃わない。
それでも、凍結卵を迎えに行くには
万全を尽くすしか、ない。
正直、不妊治療を一旦やめてほしいよ、
壊れてしまうよ
という夫の言葉も受け止めつつ
あれから10日は治療は休みと決めて
よく寝て食べる生活をした。
そして、生理開始後、転院元に通院し、
移植の希望をし、
次回の生理周期で戻すとした。
医師からは本当に厳しいと思うと言われ、
それもわかっていることも伝えた。
この、転院元への予約をするまで、
なかなかエンジンがかからなかった。
卒業とはどういうことか
改めて考えて、言葉にまだできない。
約1ヶ月の間に46歳を迎え
夫がサプライズの旅に連れ出してくれ、
さらに次の生理が来て
通院した。
ここでは子宮フローラ改善のための
抗生剤は出せないと言われた。
この病院で検査もしておらず、根拠が無いと。
サプリも当然この病院では出ない。
今の周期では病院の休みが被るので、
薬で生理を起こし、
さらに次の周期の予定になった。
できることはやっておきたい。
鍼治療のついでに都会の病院へ再び行き、
薬もサプリも出してもらった。
最後の移植はご褒美としよう。
何度も渡されたバトンを持った
卵をお迎えに行こう。
『卒業』は終わりで、何かを始めることだ。
そして、
それまでの私を支えてくれた
ご先祖さまから全ての人に、
心底から感謝することだ。
卒業にむけて、準備しよう。