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スピリチュアルの本質の追求を目的に
本を色々読み始めたのはもう
8年前になる。


図書館に行き心理学の本の棚に向かった時のことをよく覚えてる。



最初は自分の毎日が少しでも楽になる知識がほしいと思い藁にもすがる思いで図書館へいった。





今日は『今引き』より前に遡って
わたしと引き寄せの歴史を書いておこう。

そこに何か、ミステリーを生きる本質的なコツのようなものが眠ってる気がしたからだ。



長くなるので、時間があるときにゆっくりよんでもらえたらとおもう🍪
















そこからしばらくは
心理学の本や自己啓発本
あたりをずっとうろうろしていて

スピリチュアルに抵抗があったわたしが
"いい気分の引き寄せ"
"わたしの思うスピリチュアルの本質"
に到達するのには
5年ほどかかった。

それくらい私は当時、
ハートより頭で情報を判断していた。


 
 
 








近所の図書館に通うようになったのは
最初の会社を新卒3ヶ月目で辞める前か
辞めた後から。










周りの友達は
いよいよ始まった社会人生活に
悩みながらも向き合おうとしたり
楽しんだりしてるなか、
わたしは明らかに自分に仕事の適性がないことに絶望していた。













怒号が飛んでくる
大きな体育館での合宿研修。
マラソン。
早朝からのチラシ配り。

体育会系のキラキラした笑顔で声の大きい人が
「結局日々の積み重ねです」
そんな当たり前のことを言い表彰され
売上ランキングを追ってみんな必死に予約を取る。





泣いて、笑って、Facebookで近況報告をし
さわやかかと思えば女同士の陰湿な噂話がある。

体育会系の部活やテニスサークルやスノボサークルに属していた陽キャ達が活躍する世界。










わたしは朝ギリギリに起きて体を引きずってお店に行き、ふらふらでチラシを配る。
低血圧か貧血かで具合が悪くなって開店前のソファで寝たこともあった。




同期は悪い子たちではなかったけど
みんなキラキラした優等生みたいに見えて一緒にいるのは苦痛。

口の中で胃酸か血の味がする中
今日もランキングを目指して
朝から晩まで接客をする。

女の先輩に気を使えど、なんとなく女の先輩達はわたしのことは好きじゃないような感じがする。













閉店後は事務手配作業をするけど、
わたしはよくそれも間違える。

店内がうるさくて、周りに気を使いながら
仕事をするので気が散る。

自分は絶対タイプミスをするだろうなとおもってたらその通りどんどんミスをする。







それを引きずって翌朝また胃の味がする状態で寝癖をつけて出社すると
今度は手配が遅いとお客さんが机を叩いて怒鳴り出す。

体育会系の人達は
集中力や感じの良さやテキパキした色んなものを持ち合わせて、うまく対応している。





パーソナルカラー
ウィンターの人が
ゴリゴリオータムのメイクをしてしまったくらい
誰が見てもわたしにその仕事はあってなかった。


いや、
社会人生活があってないような気がする。
新卒はどこも同じ。

するとわたしはこれからもしかすると
ニートとして引きこもることになる?
大人の発達障害の診断も病院に受けに行った。












いずれにせよ、
なんとかこの社会で生きていけるのか
これからどうなっていくのか
絶望しかなかった。


唯一ほんの少しだけ、
かすかな光があったのが
「制作職」についてだった。













わたしはずっと広告代理店に行って
制作職についてコピーライターになりたいって思ってた。

だけどたいした何かを一つも持ち合わせていないわたしは就活で全て落ちた。
そこで旅行会社のカウンターセールスに拾ってもらったのだった。














なんであそこまで執着したのか分からないけど
まだハートの感覚を大切にしてないにも関わらず

わたしは
自分に絶対にクリエイティブ・制作職があってて、なかでも言葉を扱うコピーライター職があう。
そんな風に思い込んでた。



制作職の企画参加型の試験や
インターンシップのコンテスト
など
企画やアウトプットで戦う場では
なぜか明らかにすいすいうまくいったのだ。

自分的にも
時々とてもいい言葉や企画が
思いつくのが分かった。


何より言葉を考えたりものを作ったりするのが楽しかった。
映画を観たり、本を読んだり、人のインタビューを読んだり、
人生のすべてがそのアウトプットに繋がる
というのにもワクワクした。



短期間の就職活動でもこれは向いてると分かったきがした。
だけど結果が全然ともなわなかった。









これは向いてる気がする!

それが自分の思い込みなのか
本当に少し適性があるのか。

当時は分からなくて、おそらく前者だろうと思い
そうなれると思い込んだ自分がとてもはずかしくなった。









前にも書いたかもしれないけど
わたしは大学受験の時に
ビジネス寄りの引き寄せの法則の本を読んで
試してみて、すべりこみ合格した体験があった。


行きたい大学ですごしてる自分について
ビジョンを浮かべる。

すると行きたいというよりは
なぜか「そこに行くことを知ってる」ような気が
かすかだけどする。

他のあれこれとは違いそれは不思議な感覚だった。












わたしはめちゃくちゃ成績が悪くて
学年のビリや赤点の常習犯だった。
勉強をしたくなかったからしてなかったら
自然とそうなってた。


特に行きたい大学はなかったけど、両親は大学進学を希望していたので恩返しとしても大学に行っておいた方がいいと思っていた。

なのに気づけば中3の夏。
追い込みと言われてる時期で、模試ももちろんE判定。希望の大学はおろかそれ以外の大学もいけるか。
絶望的だった。







無謀ながらも
おまじない的に引き寄せの本で読んだことをやってみてた。
叶ったところをイメージする。

大学のパンフレットや合格体験記などを見て、
学食に友達といるところや、その校舎を授業を楽しみに歩くところ。

そこで吹く風、4年間の自由、楽しみ。


最初に買った本、これだった。
引き寄せが何かもよく分からなかったけど
ビジネス書の棚で
黄色の、不思議なタイトルの文庫本はわたしの目を引いた。








そうしてしばらくした頃
わたしには
「予備校や塾や学校の補習に出ない方がいいんじゃないか」
というアイデアが浮かんだ。








他の人の作ったカリキュラムは汎用的になってるので最短ルートではない。それでは間に合わない。

自分で参考書と希望校の赤本を買って
最短で勉強すれば、なんとかなるかもと。








今思うとたしかにそれは唯一に近い正解だった。

だけど当時学校の先生や予備校の説明会では
『絶対我流で勉強しない方がいい
それでみんな失敗していくから、大人しく先生や予備校の言う通りのことを当たり前にやった方がいい』
と言われていた。

周りの友達もみんなそれには納得し、
その通りにしていた。








それを聞くとたしかに我流では失敗するような気がした。
でもみんなはどんなに遅くとも春からは少しずつ勉強していた。
あるいはわたしと同じ補習組のみんなは浪人を覚悟していた。

わたしには時間がなかったので一か八か例外を選ぶことにした。

その時思った。
『こんな状態から本当に奇跡的に合格できたら
わたしは引き寄せの法則を信じざるを得ないだろう

そうして合格したものだから、
引き寄せの法則には
昔助けてくれた親戚のおじさん、のように
とてもいい印象があった。
















さて話をもどすと
制作、コピーライター職についても
大学のビジョンを描いたときと同じ感覚がした。

「そうなることを知ってる」。
理想なんだけどまるですでにある未来のように感じる一致感。

だからこそ、そこにつけなかったのは
残念だった。














仕事を辞めてから地元の小さな広告代理店の
中途採用などに応募してみても
お祈りメールがくるか、メールさえこない。

当たり前だ、なんのキャリアもない
3ヶ月で仕事を辞めたしまうような
明らかに社会不適合者っぽい若者なのだからー。








わたしは図書館に通い
人生を変えてくれそうな、
何が世界の本質に辿り着けそうな
大量の本を持って帰ってくる日を続けた。

あるいは当時実家ぐらしだった自分の部屋の
カーテンを閉め切り、
怖い話のラジオを聴いた。


お笑いや音楽は明るすぎるけど
「怖い話」には集中できたし落ち着いた。
家族は仕事を辞めて暗い部屋に篭り怖い話を聞いてる私を心配してよくスーパーの買い出しなんかに連れ出してくれたものだけど、わたしは明るい外を歩くのさえしんどかったものだ。
次の仕事の宛もないのに、友達にも会いたくない。

図書館に行くか、怖い話を聞くか、それしかしたくなかった。
(怖い話は好きなので今でもたまに聞くし、結局いまでもそういうタイプなのだけど。笑)




その時こんなことを思ったのを覚えてる。

「もしこの絶望的な状況からわたしがコピーライターになれたら、わたしは引き寄せを一生信じざるを得ない」

その時は引き寄せについてその理屈を深くはあまり知らなかったけど、要領はなんとなく分かっていた。


すでに叶ってるところを
ありありとイメージする。











宣伝会議に通ったり
インターンシップに行ったり
して制作物やコピーを考えていたときの
妙にワクワクした時の気持ちを思い出す。

OB訪問をしたときのことや
博報堂なんかのクリエイティブ職の人のインタビュー記事。

映画を見たり本を読んだりして
それが全て仕事のインプットになる。

あれが毎日、仕事になってる。
インプットし、思考し、ものを作ったり文章にする。
それは全部わたしが抵抗なくできることだ。
そしてお給料もいいなんて最高すぎる。
バーで色んなことを考えて
コピーを書いてる自分をイメージした。







もちろん、
現実は新卒を3ヶ月で辞めたただの社会不適合者ニート、のままだった。











家族に「仕事が嫌で、わたしがやっぱりクリエイティブ職につきたいから仕事をやめたい」と話すと両親は猛反対した。


新卒なんかどこでもしんどいものだ。
しばらく続けてみなさい。
父はサラリーマンで管理職についていたので
そんな風にやめたがる若者はいっぱいいると話した。


でも夢をみてるだけだ、分かるだろう、どうして急にそんなちゃらんぽらんなことを言うようになったのか?

周りの育ててくれる人達に感謝の気持ちはないのか?

社会人の最初だからそんな風に思うのだろう。
もう一度冷静になって考えてみなさい。










わたしは全てその通りだと思ったし、理解できた。
でも身体がいうことをきかない。
もう耐えられないほどだった。

頭と身体が二つに引き裂かれるような思いで、
自分でもなぜそんなに自分がうまく卒なくやれないのか意味が分からなかった。









あるとき激辛坦々麺を食べても味がせず
ゴムを食べてるみたいになった。



だけどどこかわたしは冷静だった。
我を失うほど落ち込んではなかった。
いわゆる「プチうつ」だったのだと思う。

病院でうつの診断書をもらえば、
仕事を休職できるらしい。

両親には申し訳ないが、
説得はできなそうなので事後報告にしよう。
うつの症状を話せば納得してくれるだろう。

そうして診断書をもらい、休職し、退職した。










そうしてお祈りメールすら届かない
お金も未来の希望も何もないが
時間だけがあるわたしは
しばらくほとんど行ってなかった
田舎のおばあちゃん家に顔を見せにいった。


案の定おばあちゃんとおじいちゃんはあたたかく喜んで迎えいれてくれた。
今のわたしは知る限りの人の中でもっともくずで何もできないけど、
とりあえず存在して顔を見せることで、おばあちゃん達を喜ばすことができた。

少しだけほっとした。






そこでの夜のことだった。

ご飯を食べ、お風呂に入り、
おばあちゃんの家の2階で布団に入って寝ようかとしたいたとき
(つまりはつかのま、
ずっと考えていた絶望的な現実のことを忘れていた時。それでいていい気でいた時)



ふと「東京に行きなさい」
そんなアイデアのような声のようなものが
降りてきた気がした。

そのまどろんでいた時、
なんとなくご先祖様にどうしたらいいか聞いたような、聞かなったような、よく覚えていないのだけど。










それはわたしにとって斬新なアイデアだった。

そうか、
地元で仕事を探してるから見つからないけど、
東京なら仕事が見つかるかもしれない。
新卒同様のわたしを制作職で受け入れてくれる職場があるかもしれない。










東京には、
当時遠距離になっていた長年付き合っていた彼氏や
高校時代の友達もいる。

むしろ東京に行った方がいいとすら思えてきた。


なんで思いつかなかったんだろう?

それだけ周りの常識しか見えてなかった。
大学の友達の多くは地元にいたし、
実家暮らしが当たり前になっていた。

そうしてみんな、数年働いて結婚する。
お金もかかるし、
わざわざ東京に行く理由がなかった。


それから毎日絶望的な状況のことや自己否定的なことばかり考えていたので、新しい角度のアイデアが降ってくる隙間なんてなかったのだ。










だけどそのとき聞こえた
「東京に行きなさい」
そんなアイデアは妙にしっくりきた。
そうなるような感じ、がした。

『予備校に通わず自分で勉強する』
アイデアが浮かんだあの時と同じ響きだったように感じた。



知らないはずなのに、身体の芯から納得できるような妙にしっくりくるアイデア。



だけどいつでもそれは
ふと我に帰ると
『いや無理でしょ』
『現実見れてない』
そんな風にかき消してしまいそうになる。



でもその時もまたわたしは、
もうそれ以外に道はないところまで来ていた。


どうせ地元で
制作に関係ない仕事についても
クリエイティブ職へ憧れて
仕事が嫌になる。












その夜から風向きが変わった。

わたしは実家に戻ってから
『勤務地 東京』を条件に加えて
制作職の仕事を探し出した。

するとしばらくは音沙汰がなかったが
図書館に行ったりして過ごしてらうちに気づけば
お祈りメール以外のメールが数件届くように。



そこからあれよあれよという間に
東京での面接が決まり、
二つの求人広告の会社に内定が決まったのだ。








昔行きたかったのは
テレビ広告や新聞広告を作る広告代理店だったけど
もはや求人広告でもなんでもよかった。

制作職に就いてみたかった。


それからわたしが選んだ会社は
入ってから分かったのだけど
会社の中に夜になればカンのお酒を買って仕事ができるバーコーナーがあった。

わたしはバーで求人広告の文を考えた。







そう、あの時思い描いた通り、
わたしはバーでコピーを書いていた!
まるで引き寄せの法則が
わたしにウィンクをしているような
お茶目なユーモアだった。



それからパソコンを持ち歩けたので
バーで仕事をしたこともあった。





それはセールスをしている時より何倍も何倍も
幸せな時間だった。

制作職場の落ち着いた人の雰囲気も
自分にあっているように思った。







無論、そこから4年ほど経って
またわたしは
満員電車でのオフィス出社、
毎日ある締切、
苦手な書類業務、、
そう、ここからは今引きに書いた通り、
「会社員」から離れたくなってしまうのだけど。笑



 
 



実際のところ
この間、他にも色々悩みはあったのだけど、
引き寄せにフォーカスしてダイジェストすると
こんな感じだ。











何が書きたかったかってそう、
わたしが
いい気分の引き寄せをここまで探求しようと思い
価値を置く理由の一つは

前提、
「引き寄せ」
(人によっては宇宙や神さまというかもしれないけど)
に人生の節々で助けられてきたからなのだ。

それはたいて絶望的な状況の時に最も
信頼に足る道に導いてくれてきた。






それは例えるなら
ふるさとやおばあちゃん家や神社のお守りのように昔から人生にあり、親しみがあり、
どこかで信頼しているもの。

少なくとも恨んだり嫌ったりしておらず
多少なりとも心を開いているもの。





わたしはほとんどの人が
おおかれ少なかれ
こういう"引き寄せ"の小さな奇跡体験を
人生で持ち合わせているように思う。


だけどたいていのひとはそれを
「たまたまだろう」と価値を置かなかったり
忙しい日常の中でなぜか忘れていってしまったり
大人になるにつれ思い通りにならなかったことを思い出し嫌いになってしまう。


(わたしも毎回『これが現実になったら、人生で引き寄せを信じざるを得ない』と思っていたのに、いざ叶うとその気持ちが薄れ忘れてしまっていたのだ)






だけどかすかな
"ミラクル"の声にみみをかたむけるか?
小さな過去の奇跡にフォーカスするか?



それによって
人生がミステリーなものになるか?
「普通に考えてこうなる」ということしか
起こらなくなるか?

が決まるように思う。








電子書籍か今引きかの口コミで以前、

いい気分の引き寄せを信じて
いきなり彼氏と別れたり会社を辞めれたりしたのがすごい
みたいなのをどこかで読んだ。


たしかにあの一年だけ切り取ってみると
いきなり"怖いけど頑張って"信じて
行動したこと
が重要に見えることもあるかも。






だけど前提として
そんな風に
いきなり出会った知らない人の船に
怖いけど頑張って乗り込んだ、
ような感じではない。

人生の中で何度かあった
少ないけどとても好ましいものに着目した。

もともとあったものに水を注いで開花させた。

きっと誰しもが自身のこれまでの経験をベースにできるように、
そんなところがベースなんだよ🥂🦋




Sayaka.

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