オヤジ隊員達と福岡県行橋市へ | ★バツ4シングルママは波乱万丈★みえブログ★

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現在54歳。16歳と31歳のシングルママ。バツ4。
韓国歴35年&3度の短期留学経験。日韓文化経済フォーラム日本支部代表。パワーストーンセラピスト。YouTubeみえちゃんねる。福岡探検倶楽部隊長。元ミスコン荒し13冠のミスを獲得。モデル、レースクィーン。


今日は、福岡探検倶楽部の大石隊員、

佐藤隊員、古賀隊員、山形隊員、ペロ隊員と

福岡県行橋市へ。

ゆめタウンで腹ごしらえ〜。


行橋市沓尾へ。

沓尾(くつお)と読みます。


古い町並みが残る素敵な地区。










漁港もあり、周防灘がめちゃくちゃ綺麗。

ドローンからの撮影です。





北九州空港、築城基地の飛行場もあるんで

航空法にかからない、わずかな範囲で撮影

しました。



守田蓑洲旧居



江戸時代末期に守田家第27代当主 守田 蓑洲の

屋敷で、「蓑洲亭」とも呼ばれていました。

守田家は代々庄屋や大庄屋を務めたため、この

屋敷も藩の要人らを応接する大庄屋の職務を

よく表す、接客を重視した造りの建物と庭園です。


ガイドさんに詳しく案内して頂きました。








幕末の守田家第27代当主が蓑洲(1824~1910)

です。蓑洲は号で、実名は房貫。漢学者 村上仏山の

私塾、水哉園に学び、初代塾頭を務めました。

小倉藩の村役人に就任すると、守田蓑洲旧居の正面に広がる干拓事業を成功させ、慶応2年(1866年)に

長州藩軍が小倉藩領に攻め込んだ小倉戦争にも従軍

しました。




ガイドの方と『石の野外博物館』へ


行橋市沓尾の松山神社の回りには、大阪城の

石垣に使用された石切場があります。

良質の花崗岩が取れ、今は野外の石の博物館と

して散策できます。

松山神社の石垣は明治時代に作られたのですが、

そこには珍しい扇形の石垣が見れます。

作者は広田弘毅の父とされてます。






とにかく石が半端ない。






見つけた‼️扇型の石‼️


高さ、幅がともに約8メートルもある巨石「神勅碑」

三条実美が揮毫した碑文が刻まれている。


カキ氷で休憩タイム。

オヤジトークが止まらない〜




行橋市の資料館も見学。






JR行橋駅


駅周辺歩き。

3年ぶりの行橋です^_^






隊員達は、こんなんが好きなんです。








明日のYouTubeにアップします。

今から、ドラえもんとのYouTubeを

編集します‼️