赤線、青線 GHQによる公娼廃止指令から、売春防止法の施行まで | ★バツ4シングルママは波乱万丈★みえブログ★

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現在54歳。16歳と31歳のシングルママ。バツ4。
韓国歴35年&3度の短期留学経験。日韓文化経済フォーラム日本支部代表。パワーストーンセラピスト。YouTubeみえちゃんねる。福岡探検倶楽部隊長。元ミスコン荒し13冠のミスを獲得。モデル、レースクィーン。


昨日、コンビニであるだけ全て購入。

私が大好きなテーマですから。


興味がある方は探してみてくださいね。

ちなみにファミリーマートで買いました。




今日は、赤線、青線のお話。


1946年連合軍総司令部の指令によって日本の

公娼制度は廃止されましたが、従来の遊廓地帯と

私娼街を特殊飲食店街と呼び、その女給と任意に

行われる買売春は黙認された。

この特飲街指定地域を〈赤線地帯〉といい、これに

対し裏口買売春を行う私娼街を〈青線地帯〉と 

呼んでいました。

赤線・青線の名は,地図上に赤線・青線で該当

地域を囲んだことに由来。

1957年の売春防止法施行時には赤線およびこれに

準ずる地域は全国1800ヵ所、業者3万9000軒、

売春婦12万人(警察庁調)だった。



赤線とは特殊飲食店と称され、売春婦を置いて

売春をさせる店が集まっていた地域。

太平洋戦争中までは、明治以来、許可された

売春婦すなわち公娼を置いて売春をさせる店を

一区域内に集めて遊郭といった。

黙認されている私娼を集めて売春させる店は明治 

中期から銘酒屋と称して集落を作らされた。

遊郭の建物は大きかったが、銘酒屋は3部屋ぐらいの

小住宅の形式であった。



遊郭,銘酒屋いずれも管理売春であって、娼婦は

前借によって自由を束縛された売られてきた女性

だった。

アメリカには形式上は管理売春はないことになって

おり、アメリカ軍が中心になっていた占領軍は日本の売春の形態をアメリカ風に強権をもって変えさせた。売春婦は特殊飲食店の部屋を借りて住んでいて、

そこへ遊びにきた客と恋愛に落ち、プレゼントを

受けとるという形式になった。

遊郭、銘酒屋街の区別なく1946年12月から赤線

区域になった。

青線とは飲食店街をふくむ盛り場の区分で、キャバレー、バーなどでもホステスの即席恋愛がおこなわれることもあった。



58年に売春防止法が施行されて全国で4万に近い

特殊飲食店と12万人ほどの従業婦がなくなり,赤線

廃止とともに青線の名称も消えた。


みえちゃんねる 遊郭跡シリーズ