26年前の早朝、あなたは何をされていましたか
おはようございます。
久しぶり早朝の投稿です。
26年前の朝5時46分。
『阪神淡路大震災』
あの日の出来事、風化されてはいけないと、、、、微力ではありますが
私も毎年ブログで発信しています。
はるかのひまわり:いつかさんというお姉さんをもつはるかさん。はるかさんは震災で家の下敷きになって亡くなった。半年後震災でつぶれた家に行ってみると、はるかさんが発見されたところに力強くひまわりのお花が咲いているのを見つけたお母さんは「娘がひまわりになって帰ってきた」と涙され近所の方もこのひまわりを見て「はるかのひまわり」と呼ぶようになりました。大輪の花はたくさんの方を励まし勇気づけました。お姉さんのはるかさんは今病院の事務のお仕事をしながら全国の小学生、中学生たちの地震の体験を伝え歩かれています。今は震災のみならず今はコロナに負けないひまわりを咲かそう!と皆さんに励ましてくださる全国活動をされたりしています。
白木利周さん:NPO法人阪神淡路大震災117の希望の灯りの初代の理事長を務められた
震災遺族のつながりに尽力された方。震災で大学生の息子さんを亡くされました。2020年4月病気で他界されましたが思いは受け継がれています。
真っ暗で、いつになったらこの家が壊れそうな揺れが収まるんだろう?
揺れている時間は長く長く感じました。
そして、また余震がやって来る?
不安な日々が続きました。
あとで、たくさんの方が亡くなられたと聞いてより事の重大さを知ったのでした。
ライフラインは寸断し、非日常の日々
私の家は、コンクリートにひびは入っていましたが1部損壊というだけにとどまりましたが
困っているのでは?と色々な方に声をかけて頂いて、、、
時には日用品など頂いたりして、、、
寒い時ではありましたが、寒い!って感じませんでした。
テレビでも言ってましたが、「あの時助けてもらったから強くなれた」
ほんと、そんなふうに思います。
心からありがとう!って。
コロナ禍、このトンネルから早く抜け出すことが出来ますヨーニ
と、今日は朝からしんみり
黙とうを捧げました。