引き続き『今宵、若様は恋におちるより』から中国の詩のお勉強。

 

中国字幕がないので、日本語訳から検索。

『衆裏に尋ね千百度 灯火蘭珊たる処に在り』

 

これは辛棄疾の『青玉案 元夕』からきているようです。

 

zhòng lǐ xún tā qiān bǎi dù,
衆裏尋他千百度,
mò rán huí shǒu,
驀然回首,
nà rén què zài,
那人却在,
dēng huǒ lán shān chù.
燈火闌珊處。

 

 

今回もいくつかのサイトを参考にさせていただきました。

 

 

中国の漢詩は、曲をつけて色んな人が歌っています。

映像が出ていて元夕(元宵節。春節(=旧正月)から数えて十五日目(=上元節)の最初の満月の夜に行われる祭。)の賑やかな様子が想像できるものを載せておきます。

 

この詩は解釈が深いようで。

「众里寻他千百度,蓦然回首,那人却在灯火阑珊处。」(人の群れの中、百度も千度も彼女を探しつつける。ふっと振り返れば、その人は灯火のないところにいる。」
その最後の一句は「一生をかけて追い求めるものは案外身近のところにある」という意味です。

赤字の部分、ちょっと気になりませんか??

そういう意味があるの!?

 

別のサイトに回答があったいくつかの中国語のコメントをChatGPTに翻訳をしてもらった内容も気になります。

ChatGPT:

・この詩は、表面的には、詩人辛棄疾が描写したのは、男女青年が真実の愛を探し求める道で出会う曲がりくねった道や峠を表していますが、実際には、辛棄疾は自身の挫折や不満をこめています。

現在では、「蓦然回首、その人却在灯火阑珊处」の意味は、私たちが適切な相手を探してひたすら努力し、途方に暮れたときに、実は真の相手が自分の身近にいることに気づくと解釈されています。

・まず第一に、「阑珊」は物事が終わりに向かっていることを意味し、「灯火阑珊」は灯火が暗くなり消えゆくことを指します。ここでの「灯火阑珊」と前節の繁華との対比は、明らかに「その人」の孤独と元夕の繁華の不調和を示しています。したがって、「その人」を作者自身の姿と解釈するか、追求したい人、事柄、または理想と考えるかに関わらず、主に群れから外れた心情が表現されています。これは、屈原の「鸷鸟之不群兮,自前世而固然」という言葉や、「众人皆醉我独醒」という文句のように、孤独な心情を示しています。また、この詩は当時の南宋の偏安に対する辛弃疾の痛ましい無念さと、強く屈しない愛国的な精神を良く表しています。したがって、時代背景と組み合わせることで、より良く理解することができます。

下矢印こちらは英語でコメントがあったもの)
・先生はこの詩を理解するための2つの段階を教えてくれました。1つ目は、非常に複雑な感情で、予想された部分と予想外の部分が含まれています。「わあ、彼女は本当にそこにいるけど、なぜこんなに不必要な困難を乗り越えなければならないのか?」といった後悔のような感情があります。これが核心です。

2つ目の段階では、作者の背景を参照しないと深く理解できないかもしれません。ここでの「人」は文字通り他者(女性)ではなく、作者自身を指しています。つまり、彼は自身の優れた才能が当時の政府によって認められなかったことに対する不満を、この詩を通じて伝えようとしています。


https://ja.hinative.com/questions/21989930

 

今回のドラマで使われたのは恋愛に関してだったので、

「一生をかけて追い求めるものは案外身近のところにある」という意味だったのかな?と思います。