拓夢:TAKUMU

 

表音文字ではなく、表意文字である「漢字」のいいところは、その漢字そのものに意味があること。だから、漢字で表記された名前をみると、その読みに関わらず、そこに込められた思いが伝わってくる(ような気がする)。

「名前」は、親から子供への最初の贈りものと言われる。生まれてきたわが子への将来への願いを込めて。

 

「拓夢」

なんと素敵な名前なのだろう。

親御さんが、生まれてきたわが子が将来「夢を拓く」ことができるように・・・との願いを込めてつけられた名前(なのだと思う)。

その名前をもらった彼は、小さいときから広島のスタジアムに通い続け、そこで紫のユニフォームを着たプロのサッカー選手となることを夢見た。その後、広島のJr.ユースのセレクションに合格、Jr.ユース、ユース、そしてトップチームに。紫のユニフォームを着たプロサッカー選手になった彼は、先日、ついに日本代表として、広島のスタジアムに立った。まさに、彼の「夢は拓かれた」。さらに、その夢を確実なものにするために、昨日、欧州に飛び立った。

彼は言う。「夢は、広島でJリーグで優勝すること。また、広島に戻ってきて、このチームを勝たせられるような選手になるために欧州で活躍したい」と。

 

もちろん、名前が「拓夢」でなかったとしても、同じ道を歩んだかもしれない。ただ、彼の名前を見ていると、その名前が、彼の夢の後押しを一緒にしてくれているように感じる。

 

 

さて、わが家はどうやって娘の名前を決めたのだろう。

娘の名前には「朋」が入っている。

「朋有り遠方より来たる、た楽しからずや」

論語の一節だ。意味としては、「同じ志を持つ友達が遠くからやっていて一緒に学ぶことは、なんと楽しいことだろう」となる。「朋」という字は、同じ大きさの「月」は2つ並んでいる。どちらが上とか下とかない対等な関係。そんな関係を仲間と築き、ともに学び続けてほしい・・・そんな思いで「朋」の字を入れたように記憶している。

さて、そんな名前を与えられた娘は、いろいろありつつも、いい仲間に恵まれ、今は大学院生となった。

 

たかが「名前」、されど「名前」である。

彼も、娘も、自分の望む道をしっかり歩んでいってほしいと思う。