認知症独居高齢者の母。

当たり前だが、時とともに状況は徐々に悪化していく。

つい最近まで、ご飯を炊くことができ、電子レンジがつかえていたので、食事の準備はある程度は自分でできていた。しかし、今は、自分ではやらなくなった(できなくなった?)。仕方がないので、仕事前と仕事終わりに実家によって食事の準備(セッチング)をしている。昼食は訪問介護にお願いしている。

 

状況のいいときと悪いときが周期的にやってくる。活動性が下がるとほぼ起きてこない。食欲の差も大きい。全量摂取する日もあれば、数口しか食べない日もある。当然残り物もたくさん出る。

 

自宅と実家は車で10分程度。仕事の前後に毎日行くのは決して楽ではない。在宅介護に休日はないことを実感する。そんな中、準備しても食べてくれないと、認知症のためだと頭ではわかっていても、イラっとしてしまっていた。その背景には、「(こちらが準備した)食事は食べて当たり前」という「期待」がある。「期待」を裏切られると、ひとはイラっとするのだと思う。だから、その「期待」を封印した。

食べても食べなくても、まずは準備して食べることができる状況をつくることが自分の役目。食べても食べなくても、余り物はすべて処分する(食中毒予防の視点からも、これからの季節は重要)。

 

「期待」を封印することで、認知症独居高齢者の母がどういう行動に出ても、イラっとすることはなくなった。

それが、正しいのかどうかはわからない。ただ、介護する側も自分を守る必要がある。そのための一つの方法だと考えている。

 

ちなみに、食事量が少ないときには、メイバランスで補うために、メイバランスは箱買いしている。