私たちが体験した学校教育は、

「人と比べる」ことが

当たり前でしたよね。

 

 

 

 

それが悩みの種になるわけだけど…

 

実は、「人と比べる」ことには

良い面もあると思っていて。

 

 

 

 

今日はそのことを、

書こうかなと思います。

 

 

 

 

と言っても今日書くことは、

今頃になってようやく

 

「こういう捉え方もできるな~」

 

と思ったことで。

 

 

 

 

学生時代とか、

若くてサバイバルに必死だったときは

取り入れることができなかった

考え方でもあります。

 

 

 

 

 

「人と比べること」の利点は、

 

自分の才能が分かる

 

ということに尽きます。

 

 

 

 

 

なぜか私たちは、

人と比べて

 

「できないこと」

 

にフォーカスしがちだけど…

 

 

 

 

人と比べて

 

「できること」

 

も必ずあるわけで。

 

 

 

 

それはデフォルト設定として、

生まれるときから持ち合わせている

能力でもあります。

 

 

 

 

家系で受け継いできた才能だったり、

前世で何度もやったことがあるから

人よりうまくできることだったり…

 

 

 

 

色んなケースがあると思うけど、

 

「とくに頑張った記憶もないけど、

最初から人よりできた」

 

というものが、

1人1つはあるはず。

 

 

 

 

それって、

人と比べて初めて

 

「私って、これできるんだ」

 

と、自覚できることで。

 

 

 

 

私が印象に残っている、

学校で人と比べたシーンは

2つあって。

 

 

 

 

1つは、小中の調理実習。

 

クラスメイトの女の子の1人に、

料理がとても上手な子がいて。

 

 

 

 

その子は勉強はぜんぜんしなくて、

性に目覚めているタイプ!

 

真逆のタイプなのに腐れ縁で、

ずっと同じクラスで

関わりも結構あった。

 

 

 

 

彼女の料理は、

同じ調理室で作った

ただの卵焼きなのに…

 

目に見えて美味しそうで!!

 

 

 

 

同じ場所で、同じ材料で

作ったものとは思えないほど、

何もかもが違っていた。

 

 

 

 

盛り付けも上手いから

目で見ても美味しそうなんだけど、

味も絶対に美味しかったと思う。

 

間違いなく、学年一。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女の作ったものを見たときに、

 

「これが、彼女の才能なんだ」

 

と、畏敬の念を抱いたんだよね。

 

 

 

 

なんだろう、

次元があまりに違っていて

比べることすらしなかった。

 

 

 

 

ただ、

 

「生まれ持った才能、

天から賜りし才能って

このことを言うんだなぁー」

 

と、思った感じ。

 

 

 

 

勉強できなくても、

性にだらしなくても、

何でもいいんだ。

 

あんな素晴らしい料理が、

作れるんだから。

 

 

 

 

って、素直に思った。

 

 

 

 

同時に、私の才能が

料理ではないことも分かった(笑)

 

 

(これアップも、地味に収穫。

料理人目指していたら、

大変なことになってたから!)

 

 

 

 

 

ゆめみる宝石

 

 

 

 

 

自分の才能じゃないところを

見つけるのは結構カンタン。

 

実は、逆のほうが難しい。

 

 

 

 

事実、受け取るまでに10年以上かかった笑い泣き

 

 

 

 

私が初めて

自分の才能らしきものに

気づくことができたのは、

高3の授業で。

 

 

 

 

大好きだった古典の先生が

私立文系志望の生徒のために

開講していた、

「国語表現」というクラス。

 

 

 

 

毎回テーマに沿って

原稿用紙に文を書いていく。

 

 

 

 

先生が良かったと感じたものは

次の授業の際にまとめられて、

良かった点のコメントとともに

全員に配られる。

(個人名は、伏せられている)

 

 

 

 

何がどう良かったのか、

自分では全く分からなかったけれど

私の文は何度か取り上げてもらえて…

 

 

 

 

大嫌いだった古典が

大好きになったくらい、

授業が面白くて大好きな先生だったから…

 

すごく嬉しかったし

励みになった。

 

 

 

 

でも、これを本当の意味で

受け入れられたのは、最近。

 

高校の1クラスのうちの何人かに

取り上げられても…

 

って、思ってたしね。

 

 

 

 

1人だと、分からない。

 

自分が上手いのか、下手なのか。

才能があるのか、ないのか。

 

 

 

 

ほかの人がいるから、

客観的に分かる。

 

 

 

 

自分を卑下するためじゃなくて、

 

自分が人よりも

無理なく上手くできることを、

人のためにできることを知るために…

 

「人と比べる」をしたら、いいよね!

 

 

 

 

 

ゆめみる宝石

 

 

 

 

 

なんて考えていたら、

昨日紹介した本で

アメノウズメさんが

おんなじことを話していました!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメノウズメさんの言葉で、

今日は締めたいと思います。

 

 

 

 

 

光を見て、陰を見て。

光を見て、陰を見て。

 

それはまるでらせん階段のように。

 

交互にくり返すことで、

結果的にどんどん上に登っていく。

 

こうして気づいた時には、

とんでもなく高いところに

たどり着いているの。

 

 

 

ただし、こうやって

光と陰を交互に見ることは

1人では叶わない。

 

なぜなら宇宙は、

「自分って何者?」という疑問から

始まったから。

 

 

 

自分がどれくらいの高さまで

たどり着いたのかを測るためには、

もう1人の誰かが必要でしょ?

 

たった1人のクラスのテストで

100点満点をとっても、

それがすごいことなのかどうかなんて

分からない。

 

 

 

もう1人の相手を見つめ、

認め合えた時、

新たなピースがはまっていく。

 

そのピースがどんどんはめられることで

この世界の大きな1枚の絵になっていく。

 

そしたら、

また新しいピースを探す旅に出る。

 

 

 

だから、大切な人を大切にする。

 

それは自分を大切にすることと

同じことなのよ

 

 

 

 

 

さすが、神さま…

 

私もこんな表現力がほしい笑い泣き笑い泣き

 

 

 

 

ちなみに、

料理が天賦の才である彼女は…

 

 

 

 

料理を仕事にしていない。

 

家族のためだけに、

料理を作っている。

 

 

 

 

つまり、才能をどう生かすかすら

個人の自由意志だということ!

 

 

 

 

すごいよね、

無理に仕事にしなくてもいいって。

 

 

 

 

でも、この時代は

それが可能だから…

 

好き、できる、を仕事にしちゃえば、

それが幸せなんじゃないかなぁ~と

私は思う(^-^)

 

 

 

 

 

あなたの天賦の才は、

何だろう?

 

 

 

 

 

自分の才能は、

見えにくいもの。

 

逆に人の才能は、

見えやすいもの。

 

 

 

 

これまでもらった言葉を、

印象に残っている出来事を、

思い返してみてね。

 

 

 

 

そして、人の天賦の才を

目の当たりにしたときは、

その人に伝えてあげてね。

 

本人は、気づいていないかもしれないからビックリマーク

 

 

 

 

 

 

 

 

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内容の詳細は、こちらの記事に龍

 

「あなたのその人間関係の悩み、

私が先に体験しておいたよ!」

https://ameblo.jp/momoko-kawakita/entry-12517124419.html