ご訪問ありがとうございます。
寒くなったので、体調を崩してしまいました。
皆さんは大丈夫ですか。
それでは、過去を振り返ります。

母の検査の結果が分かる日、私と父は別々で病院にきました。
大雨の荒れた日だったことを記憶しています。

先生から、父と母と私が呼ばれ説明を受ける部屋に入りました。
神妙な面持ちで待っていると、先生は淡々と検査結果を告げました。

母の病気は バセドウ病といって甲状腺のホルモン異常によるものでした。
投薬治療で治りますが、少し時間がかかると言われました。

母は不安な顔をしていましたが、先生は珍しい病気ではないから
時間はちょっとかかるけど安心して下さいと言いました。

私は先生の言葉に安堵し、今まで母に無理をさせていたから
ゆっくりさせてあげようと思いました。

しかし、その後 先生から思いがけない言葉を聞くのです…

それは、この病院より専門のいい病院があるので転院した方が
いいということでした。
私は大学病院よりもいい病院があるのかと疑問に思いました。

病院名の入ったパンフレットをみると、その病院は隣の県にある大きな
病院でした。

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ご訪問頂きありがとうございます。
皆さんは健康診断を定期的に行っていますか?

現在は医療も発達して、早期発見、早期治療で昔よりも
直る可能性が高くなったと聞きます。

私も現在、元気であることが当たり前ですが、病気になると本当に
健康のありがたさを実感すると思います。

定期的な健康診断が望ましいと感じる今日この頃です。
それでは過去を振り返ります。


母が入院してから、父は毎日片道1時間かけて病院に通いました。

自営業で父と母が2人で仕事をしていたため、ある程度の自由は
ありましたが、仕事の効率はぐっと下がりました。

父は病院から帰ってきてから、夜遅くまで働いていました。

朝7時に起きて、午前中は病院に行き、午後から夜の1時過ぎまで
仕事をする生活をしていました。

昔から仕事人間であった父が、毎日 母の元に通い母の愚痴を聞いている
姿は想像できませんでした。

私が病院に近いから、毎日来なくていいよといっても
父は毎日通いました。
父も体を壊してしまわないかと本当に心配でした。

1週間程、その生活が続いたある日、ついに検査の結果がでました。

それは、今よりも過酷になることを十分に予測できるような
恐ろしい内容でした…


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ご訪問頂きありがとうございます。
ブログをはじめて、1週間が経ちました。
一人でも多くの人に観て頂き、コメント頂けると幸いです。

長くなりましたが、それでは過去を振り返ります。
母の検査が一通り終わり、楽天的な私は働き者の母に
とっては、いい休みになったと考えていました。

実際に母は、入院中も身の回りのことも問題なくこなし、
食事もしっかりとれていました。

早く帰って家事と父の仕事の手伝いをしなければと退院の段取りも
していました。

私は学校があったため、一人暮らしのアパートに戻り普段の生活に
戻りました。

予定の検査が終わり、いよいよ退院予定日の3日目の夜に
父から連絡がありました。

退院したと連絡だと思っていた私は父の言葉を理解できませんでした。

内容は、母は精密検査が必要で今の市民病院では詳しくできないから
大学病院に転院しなければならないといっていました。
大学病院は実家から1時間以上かかる場所にありましたが
私のアパートのすぐ近くであったため、父からこれからも頼むと
いわれました。

ただ、検査の詳しい内容は何度聞いても分からないといいました。

しかし、父はもうその時から母の病気について知っていたのです…


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寒くなりましたね。

体調を崩さないように、頑張っていきたいです。

それでは過去を振り返ります。

病院に到着し、救急外来ですぐに観てもらうよう
手続きをしました。
初めてのことだったので、私も気が動転していましたので
すぐに父に電話をして病院に来てもらうよう頼みました。
母は目眩が軽くなったようで、しっかりと看護婦さんに
症状を伝え、血液検査とCT等の検査を済ませました。
青白かった顔色もすっかり良くなっていました。

念のために検査入院をしてくださいと、医者から伝えられ
明日から本格的な検査を行うことになりました。

両親は自宅で自営の仕事をしていたため、
父は家のことと、母のことと 大変になると想像できましたが
父は、母に体が一番なのでゆっくりと検査してもらったほうが
いいから、後は任せてくれと明るく言っていました。

私も2、3日入院すれば、また元の生活に戻れると信じていました。

しかし、この後 母は元気に家に帰ることはできませんでした…

現在は100年に1度の大不況で多重債務等の

借金の問題を抱えている人も多いと新聞等で

見る機会があります。


借金の理由は異なりますが、私と同じような苦しみを

味わっている人たちもたくさんいると思うと過去を

振り返りながら胸が苦しくなります。

前置きが長くなりましたが、それでは過去を振り返ります。

私の人生の歯車が狂い始めたのは、父から掛かってきた

一本の電話からでした母がスーパーマーケットで

買い物中に目眩がして動けないから、迎えにいってきたと

いう報告でした。


車で迎えに行き、その後は目眩も治り家事をこなしたため
私は疲労だろうと考え、気にも留めませんでした。

一種間程して、私が丁度 実家に戻っているときに

買い物に出かけた母から家に電話があり、

またこの前と同じように調子が悪いから迎えに来て欲しいと
連絡がありました。


私が迎えに行くと、母はぐったりしてベンチに

座っていました母の顔は真っ青で、肩で息をしていました。


私はそのあしですぐに病院に駆け込みました。