普通に小学校に行ける子は行けばいいし、行くことが困難でサポートしても難しい子は行かなければいいんじゃないか?


お母さんが自分を犠牲にして、「今日は行くの行かないの」「今日は何時間行けるの」「早退するのしないの」


お母さんがどこまで寄り添えるか、なのか

お母さんが自分をどこまで犠牲にできるのか、なのか


それとも、こういう「お母さん犠牲期」を長く続けると「お母さんを犠牲にせずに」小学校へ通えるようになるの?

実際にそういう子はいるの?



娘をみてて思う。困難を感じない子は「普通に」小学校へ行くのだ

「お母さんもうついてこないで」って言うのだ


「違う」のだから違う場所で過ごせばいいような気がする

誰かを犠牲にする必要はない


そういう場所が増えればいいね