FIFAクラブワールドカップと国別対抗W杯=受難、または成長の試練・・・ | 生命とは焔ーひーのたまゆらに揺れる糸仄かに霞む閨ーねやーの通い路

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和歌や詩の創作、小説の構想、性格学や進化ゲーム理論などの研究を掲載。

物書きとしては守備範囲の広いテクニシャンの部類だと思うが、人間としては不器用だ、言うなれば健さん並に不器用だ。

で、自分が一番憧れたのが五木寛之さんみたいな作家で、同時に一番苦手なジャンルが小説を書くということもわかっちゃいる。

冷静に分析すると、僕はどうしても登場人物に感情移入して自分を色濃く反映してしまう。

恋愛小説では自分がその時好きな女性がヒロインのモデルになって、自分を主人公のモデルにしてしまう。

それは真に迫る効果があり私小説では必要な要素ではあるのだが、行き過ぎると太宰治の人間失格のように、自分の放つ焔で自分を焼き尽くすことになる。

そういう歴史を経て小説は登場人物と作家が客観的に距離を置いた俯瞰の小説がメインストリームとなっている。

・・・僕は作家としては酷く時代遅れな男なのだ、わかっちゃいる・・・。

だが作家としての成功は捨ててでも自分が最愛のパートナーと一緒になって結婚するまでは感情移入路線を貫こうと想っていた。

どうせ4年に一度のサッカーW杯記念でしか小説書かんのだし・・・、そんな開き直りが僕にはあった。

だが、そんな僕の心の余裕を打ち砕くように2025年からFIFAクラブワールドカップが国別対抗ワールドカップと同等の規模で開催されるようになった。

国別対抗W杯記念小説は完全な純愛小説を描いているけど、FIFAクラブワールドカップFUCK LOVEと掛けて(笑)純愛小説ではあるのだが、同時に艶っぽい濡れ場の多い性愛小説を書くと決断し、夭折した旧友石川卓也君の姓で北海道にゆかりの深い石川啄木氏の名作から『悲しき玩具』と題名は決めた。

問題は4年に2度、しかも毛色の違う小説を書き続けなければならないということだ・・・。

結婚するまでは私小説的に小説を書くと心に決めてるし、小説書く毎に好きな女性をコロコロ変えるわけにもいかない。正直ピンチだ(笑)。

解決策はただ一つ、性愛も愉しめて心中するよな純愛も出来るような女性と巡り逢える・・・わけあるか(苦笑)。

ここまで来たら取り敢えず日々神に祈りを捧げておこうと現実逃避する俺だった・・・。

我こそはという女性、俺に挑んできてくれ(笑)!