主人公より名脇役に憧れるのって俺だけなんだろうか…? | 生命とは焔ーひーのたまゆらに揺れる糸仄かに霞む閨ーねやーの通い路

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和歌や詩の創作、小説の構想、性格学や進化ゲーム理論などの研究を掲載。

SLAM DUNKでは桜木花道より三井寿が好きで、ルパン三世ではルパンより次元が好きで、ドラゴンボールでは悟空よりクリリンが好きで、ダイの大冒険では勇者ダイよりポップが好きで、ONE PIECEではルフィよりゾロが好きで…、ドラクエⅣでは勇者よりクリフトが好きで…ってな感じでとにかく基本的に主人公より脇役が好きだ…!

理由を考えてみると、主人公が無闇に持たされている底抜けの明るさとか、どこから出てくるかわからないような絶対の自信とか、そういうどうしても英雄譚をなぞらざるを得ない主人公を描く中で作者さんが抱えたフラストレーション、コンプレックスだったり、臆病さだったり、怠惰だったり、虚栄だったり、或いは恋に悩んで道を失ったり、そういう人間的な複雑系の魅力が名脇役には凝縮されている。英雄を単純に描かなければならない分、名脇役は一癖も二癖もあるいぶし銀の技巧派として描かれる事が多く、僕の心の琴線に触れるモノがある。

だから僕は英雄が予定調和の如く悪の大王を倒すのより、名脇役があらゆる技を駆使して最後に悪の大王の右腕と差し違え、死んだと思いきや奇跡の生還を果たす…ってこれも予定調和ではあるのだが、そういう方が憧れる。

更に穿って分析してみると、日本という国に於いて主人公はやはりなんだかんだと天皇家なのである。

僕は源氏の末裔だから特にそういうことを意識して育ったが、天皇陛下は日本国の本家本元であり、分家も分家のこの俺はなにがあっても主人公になんかなれやしない…だったら誰よりもカッコいい脇役になってやろうみたいなのが僕だけじゃなくて、藤原氏もきっとそうだろうし、日本国民全体の統一意識としてあるような気がする。

だから、日本人の描く物語は特に脇役が一癖も二癖もあって、それでいて癖になるキャラが多いのだ。

この分析は間違いなかろう。

そういう中で敢えて脇役キャラを主役に持ってくるという荒技を使った作品群(『カムイ伝』なんかがその代表と謂えるだろう)の名作として好きなのがジョジョの奇妙な冒険の特に第5部であり、主人公のスタンド『ゴールドエクスペリエンス』は攻撃力が高くなく、生命体を違う生物に変えたりとかっていう一風変わった間接魔法のような能力で、ラスボスとの闘い以外は基本的に仲間達が主人公のように闘い、ジョルノは勝利の手助けをするという役割に終始するのだが、主人公だがいぶし銀の活躍をするジョルノを描いた荒木飛呂彦先生に自分も脇役という主役になれるのだと応援していただいたような気がしている。

僕がスペクター流奥義でサッカーと作家を掛けて記念小説を書こうと想ってるFIFAクラブサッカーワールドカップや、FIFAサッカーワールドカップでも日本の代表がゴールドエクスペリエンスをすることを切に願っている。