一生解けない疑問 | 着床障害・死産を乗り越え3人の母になりました!高齢うさぎと同居中♪

着床障害・死産を乗り越え3人の母になりました!高齢うさぎと同居中♪

主に不妊治療とその後の妊娠経過について書いていました。3人の母でありますが、1人は天使です。辛いこと沢山ありました。治療を終えた今は愛うさぎのことなど綴っています◡̈❁

人生で1番辛かった4月が終わって、


そこから少し気持ちが落ち着いた5月がまもなく終わろうとしています。


4月は人生で1番涙を流しました。


最近は、“家事をしながら、ご飯をたべながらも突然涙が溢れてくる”なんてことはなくなって、
輪くん(次男)のことを想って涙を流すことも減りました。


涙は減ったけど…
当たり前だけど
悲しみは変わらない。


一昨日で姪っ子が生後2か月になりました。
姪っ子を抱っこして幸せそうにお散歩している義妹夫婦の後姿を見て、胸が締め付けられました。
“いいな…なんで私はダメだったんだろう?”


そして、同じく一昨日、学生時代に仲のよかった友人に子どもが産まれました。
出産報告のLINE、心の底から祝福できなくて…すぐに返信できませんでした。
“なんでこの子は結婚してすぐに授かって元気な子産めたのに、なんで私はダメだったんだろう?”


そして昨日は2週間ぶりの長男の幼稚園のプレ保育の日で…
長男の希望の幼稚園のプレは月2回、親子参加です
赤ちゃん連れのママや複数の妊婦さんママを見て
“なんでみんなのお腹の中の赤ちゃん生きてるに、なんで私はダメだったんだろう?”


やっぱり
“なんで?どうして?なんで私だけ?”
そんな思いばかり抱いてしまいます…。




“生まれてこれない命にも意味がある”と
誕生死の本にも書いてあったけど…


輪くんの命にはどんな意味があるんだろう?
なんで私のところに来てくれたんだろう?
なんで14wまで生きて、
なんでお空に帰ってしまったんだろう?
なんで?なんで?なんで?


ずっと考えています。


きっと、天使ママさんはみんな考えますよね?




私は2人目の治療を始めてから、全く着床しないことが続いて、もう妊娠はできないのかもと絶望的になっていました。
そんな時に、輪くんはやって来てくれました。

絶望の淵にいた私を、彼は救ってくれたのです。
なので、私に“まだ妊娠できるから大丈夫だよ”そんな風に、私に希望を持たせてくれるためにやって来てくれたのかなって思いました。


本当なら、リプロに転院して、この子(4AA)が移植1番目の予定でした。
でも、私たち夫婦はできれば女の子が希望で、少しでも確率が上がる分割の遅い3AAの胚盤胞を1番目に移植しました。
たぶん、私は着床の窓がズレているっぽくて、3AAの子は移植時に5AAになってくれた勢いのある子だったのに、カスリもしない陰性でした。
きっとこの時、4AAの輪くんを移植していたら…きっと輪くんも着床することなく、私たちは輪くんの姿を見ることもなかったのかもしれない。


“流産してしまうくらいなら、はじめから着床しない方がよかった”と、流産を経験されてる方のブログなんかを読むとよくその言葉が聞かれて。
でも、私はそれに対して、“全く着床しないのだって希望が見えなくて辛い”と以前ブログに書きました。

死産を経験した今、その気持ちがわからなくもないのです。
輪くんの心拍停止を告げられた時、夫も言いました。“まだ着床しない辛さの方がマシだった”と。
確かに、着床しない時も辛かった。でも、輪くんを失った辛さはそれと比較できないくらい大きくて…大きすぎて…。
きっと、着床しないことが続いていなかったら、
きっと、私も同じことを思ったかもしれない。
“こうなってしまうなら、こんなに辛い思いをするなら、はじめから着床しない方がよかった”と…。


現に、輪くんの心拍停止を告げられた時私は、“こうなるなら、はじめから着床しなければよかった”とは思わなかったけど、
“こうなるなら、もっと早くてもよかったのに…”と、一瞬だけどそう思った。
流産が1番多い、もっと初期ならよかったのに、
そしたらつわりの期間も短くて済んだのに…
なんてことを、一瞬だけど思ったのです。


だけど…

ここまで生きてくれたから、
私は最後に輪くんに会うことができた。
早かったらそれは叶わなかった。
10週で流産した親友はそれが叶わなくて、やはり一目赤ちゃんに会いたかったって言ってた。
会いたくても会えずにお別れするのもきっと辛いと思う。
中には会うことの方が辛くなる人もいるかもしれないけれど。
でも、私は、自分のところにやって来てくれた赤ちゃんにはきっと会いたいって思う。
同じように初期流産で会うことさえ叶わなかったら、すごく悔やまれたと思う。


だから、輪くんがここまで生きてくれたのは、きっと私に会うためだったのかなと。
会える週数まで頑張ってくれたのかなと。
そして、本当なら1番目の移植予定だったこの子を2番目の移植にした私たち夫婦も、この子に会うことを偶然のようで必然的に選んだのかもしれない。




だけど…

本当の答えはわからない。


“妊娠できると教えに来てくれた”
“私に一目姿を見せてくれるために14wまで生きてくれた”

本当にそうなのだろうか?
これは全て私の都合の良い解釈に過ぎない。



心拍停止を告げられた時、
後期流産になるので、
亡くなったのは“赤ちゃんだけの原因ではないかもしれない、お母さん側にも問題があったのかもしれない”
と言われたことが引っかかっています。


今回、死産(流産)となった原因については夫とも考えた結果調べませんでした。
調べても100%原因が追求できるわけではないし、それを今後の治療に生かすことは難しいだろうなどということで。
例えば染色体異常があっても、それは治療でどうにもできない、
胎盤や臍帯に問題があっても、それも治療でどうにもならない、バイアスピリンとヘパリンの治療はしていたので…


だけど、分娩に立ち会った医師に、何か見た目で気になったところはなかったか聞いた時に
胎盤が週数にしては少し小さいような気がしたと言われた。
医師からは、それが原因かもしれないとかは言われなかったけれど…
もしかしたら、それが原因で輪くんは生きられなかったのかな?
私のせいかもしれないって、
やっぱり考えてしまいます。

もし胎盤が原因だとしたら?
それでも、これは運命ではじめからもう決まっていたのだろうか?
そういう運命とわかっていながら、輪くんは来てくれたのだろうか?

それとも…
運命は狂ってしまったのかな?



それと、
“生きて産まれてこれなかった赤ちゃんもみなお母さんのことが好き”と、
これも誕生死の本に書いてありました。


私はアスピリン内服していて、14wで心拍停止がわかったものの、出産できたのは15w6dでした。
出産も経産婦なのに難産で、2日かかりました。

助産師さんが、
“ギリギリまでお母さんといたかったんだね、お母さん大好きなんだね”って言ってくれたんです。

でも、本当にそうなのかな?

本当にそうなら、
ずっとお腹にいて欲しかったな。
元気に産まれてくる姿を見せて欲しかったな。
そう思ってしまいます。

なんで、途中で帰ってしまったんだろう?
なんでかな?



来てくれて“ありがとう”という思いと
来てくれたのに“ごめんね”という思いが
常に混在しています。


そして、全てにおいて
やっぱり“なんで?”
その思いが消えません。



大好きなCoccoの歌に『ハミングバードと星の砂』という歌があって、その出だしが

“僕が今まで
息をした理由(わけ)
僕がここまで
生きてきた理由(わけ)”

という歌詞で。
死産後にこの歌聴いた時に、滝のように涙が溢れました。


本当の理由があるなら
知りたい


でもこの疑問は、
きっと一生解けることはないんだろうな…


正解は、輪くんと神様だけが知っているのかな?


エコーで元気に動いていたやんちゃな姿が忘れられない。


会いたいな。


元気にお腹の中で大きく成長していく姿を、
元気に生まれてくる姿を、
やっぱり見たかったな。



一昨日、四十九日でした。

きっとあっという間に、
妊娠していた期間を追い越していく。

輪くんを妊娠していた時が
だんだん遠くなっていく…


辛くて早く時が経って欲しいと思っているのに、
それも悲しい…


輪くんの想い出が遠くなるようで
輪くんがもっともっと遠くに行ってしまうようで…
さみしいです。