台風12号で被災して | ももいろ~Happy Life~

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アメリカ留学を終え、今度は日本で愛犬ももと過ごす幸せな毎日♪

久しぶりの更新になってしまいました

台風12号により、大変な状況もあり、パソコンやiPod touchも壊れたため、なかなか更新出来ませんでした。
記録の為に台風12号について書きます。


何だかのろまな台風が来ているなぁ、と思っていた九月二日。
バイトを少し早めにあがらせてもらい、帰宅しました。
帰宅途中に通る熊野川に架かる橋の上、とても気色悪く、風が強かった。
雨戸を閉め、懐中電灯を準備しましたが、予報をみるとまだまだ台風は太平洋上でした。

翌日、元々仕事は休みだった私は家でじっとしていたのですが、テレビに映る浸水した本宮町中心部を観て、さらに台風は太平洋上にまだある事にびっくりしました。これはヤバイ。。。
そんな風にテレビに釘付けになっていると3日正午ごろ停電。
不安になりつつもラジオも入らない田舎では携帯だけが頼みの綱でした。

その後請川地区が浸水。
夜にはバイト先の老人ホームから電話があり、ホームへの一本道が土砂崩れで通れないので、通れるようになったら連絡します、とのことでした。
私が住む地区の堤防まで後1mまで川が迫っていました。
放送されるダムの放流量はどんどん増え、今まで聞いたことも無い量になりました。

雨はひたすらに降り続き、私が住む地区の下の方の住民は公民館に自主非難しました。

そのまま夜を迎え、雷の音で目が覚めた時、真っ暗な中、雷の光でみた光景…堤防が無く、下の土地は川と一体になっていました。
そう、ピーク時は深夜にやって来たのです。

明るくなってようやく雨は小雨になり、地区の人たちが集まり始めました。
私が住む地区は上半分と下半分に分かれているのですが、下の方の土地は全て浸水。ほとんどの家が床上1mまで水が来ていました。
堤防は決壊し、道路もえぐれてしまいました。
この時携帯が使えなくなっていることに気付きました。

まだ降るのかも分からず、川にも近付けず、何時の間にか町内放送も壊れ、情報は消防団の無線頼みになりました。

孤立が解消されると直ぐに軽トラで役場に行き、大きなタンクを仕入れ、水の確保から。

この地区が浸水被害に遭ったのは、昭和28年以来。でも川と山と共に生きて来た人たち。その後の活動は見事でした。

都市ガスとは違い、ガスはプロパンなので止まることはなかったため、公民館で炊き出し。パンも近くの移動販売をしている人から寄付してもらい、冷蔵庫の中のものを持ち寄って、その後しばらくは地区の人皆でご飯を食べました。他の地区の避難所にも持っていくおにぎりも頼まれたので、この日は1.5斗も握りました!人生初!笑
それ以降も置いといても腐るからと、なかなか豪華な食事を食べることが出来ましたよ笑
アルファ米は公民館にも大量にあったし、農家ばかりの集落。お米はいくらでもありました。
頼まれたら発電機で精米してくばりました。
昔、祖父が土木をしていた名残の年代物の発電機、大活躍☆

男の人はすぐに山に上がり山水を公民館までひきました。これがあるかないかで全然ちがいました!
そして泥のかき出し。
皆で一気に頑張りました。
えぐられた道に石を敷き詰め車が通るようにしてから、
発電機と高圧洗浄機、田んぼで使う大きタンクを使ったお陰で、他の地区よりも早く片付けが済みました。
一人暮らしが多いこの地区では皆が家族。
中学校は避難所に、小学校は浸水したため、学校も休みで、中学生たちが手伝ってくれました。

その後、救援物資を運んでは配り、必要なものを聞いては取りに行き、皆忙しくしている中、私は5日から仕事に。
老人ホームにいる老人も被災者。
職員も浸水被害に遭った人、消防団の人、通勤できない人、色々で、大変な状況でした。
職場でも谷から水を汲んで来て、トイレに使ったり、谷まで行ってお茶碗を洗ったり、洗濯したり、電気が付かないので電動ベットは使えず、エレベーターも止まったので、階段で全て運びました。
道は土砂が取り除かれただけ、上からは木や岩が突き出してきていたし、道路もえぐれていきそうでした。
そんな道でも通らねば、じぃじばぁばが待っている。。。
実際また岩が落ちてきて通れなくなりましたが、念のため送り迎えを頼んでいた私は無敵!皆で歩いて渡り、一緒に帰りました。

仕事が休みの日、家族の汗と泥で汚れた洗濯物4日分を山水で洗いました。
半日かかりました。最後の方は握力も無くなってきましたが、台風の後は晴天だったため助かりました。
その後は毎朝仕事前に洗濯板で洗濯しました。
一番困ったのはお風呂。
まだまだ暑く、泥まみれになっての作業。
でも歩いてすぐのところにある、父の実家はまだ五右衛門風呂があったのです。
谷水を貯め、下から蒔きで焚いて、ロウソクと月明かりでお風呂に入りました。
夜は月見に一杯しちゃったりして♪
なかなかアナログ生活を前向きに頑張れたと思います。

その後、この地区は給水車や行政に頼ること無く、一週間後に電気、その後に水道、そのまた後にテレビ、電話、携帯電話が復旧するまでやりきりました。
移動販売車も早くから仕事を再開してくれて、生協も早くから届けてくれたおかげで、食べ物も手に入りました。

人の本性が見え、悲しい思いもしたけど、人の温かさや絆、そして自然災害の後でもなお自然のありがたさを実感した今回の経験でした。

保育園や小学校、役場や消防署も被害を受けた、我が町本宮町。
至る所で道が崩れ、陸の孤島となり、総雨量が2000ミリを超え、大変な被害を受けました。
うちは田んぼが壊滅状態、農機具なんて普通の車より高いのにほとんど流されてしまいましたが、まだ家が無事だっただけまっしです。
また一からやり直しです!


被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。


心温まる話はまた少しずつお話できたら、と思います♪