先日、BSで放映された英雄たちの選択「赤穂盧氏の討ち入り後」を観た。
今さら言うまでもないが、「吉良上野介を討とうとし、切腹となった浅野内匠頭に代わって、家臣の大石内蔵助ら47人が討ち入った事件」である。浪士らはすぐに処刑されたものと思っていたが、実際はひと月半ほどの後のことだった。
理由のひとつに、幕府の基本に「喧嘩両成敗」があるにもかかわらず、幕府が吉良にはお咎めなしとしてしまったこと。加えて世間が浪士の主君への忠義心を称賛し、同情する雰囲気だったことがある。
徳川綱吉は「生類憐れみの令」で誤解される部分も多いが、目指したのは平和な世の中。そのためには無闇に武士が刀を振り回すのをまずやめさせなければならなかった。「生類憐れみの令」のねらいもそこにある。
幕府の方針からいけば赤穂浪士のしたことは、例え仇討ちであっても言語道断。同情はできても看過してはならなかったのだ。
47人の身柄は細川家、水野家、松平家、毛利家に預けられたが扱いは様々。細川家は極めて厚遇で、部屋で自由に過ごしご馳走も振舞われた。また、水野家も対応は丁寧だった。対して松平家、毛利家は厳しく犯罪者として扱った。
赤穂浪士と聞けば「討ち入り」しか思い浮かばない身としては、大名が浪士の扱いに苦慮するなど考えもしなかった。