友人の誕生日に何かを贈る。


小学生時代の誕生会を思い出した。


女性の誕生日に何かを贈ることは、男性ならば何度か経験を積むことだろう。


しかし男性の友人の誕生日に、何かを贈ることはそうそう経験がある訳ではなかった。


最初は「マカロン」を贈ろうかと考えた。


しかし西欧の菓子であって、しかも「軽い」。


「軽い」というのは、どこか「軽んじる」に通じる気がした。


そこで、日本橋高島屋の贈答売場を回ってみた。


そして、やはり虎屋の磁力に引き寄せられたのである。


日本人。


そして力強いブランド力。


味覚もまた日本の伝統の継承と発展。



momo log


この袋もまた力強い。



momo log


内装もまた力がある。


虎屋。


見事なものだ。


と ら や 


そう平仮名であらわす。


しかるに暖簾には


や ら と


とあらわす。


本物のブランドには、学ぶことがたくさんあるものだ。


かけがえのない人生を歩む友に、虎よ!本物のフォース(力)を与えたまえ。

まもなく新大統領に就任するオバマ氏の演説を様々なメディアが報道している。


演説集もまたベストセラーにランクインしている。


このような現象は、クリントン氏やブッシュ氏にはみられなかった。


卓越したスピーチである。


それがアメリカという大国の危機に登場してきたからこそ、さらに増幅され伝播される。


危機に瀕している時に、誰もが「希望」を謳いあげられるのではない。


真に「希望」を確信している者にしか、人の心に「希望」の火を灯すことは出来ないだろう。


そういう意味で、オバマ氏は稀有の政治家であろう。


言葉が巧みであるーというのではない。


使う「言葉」は彼にとって、最大の武器であるだろう。


その武器の威力を充分に知り、それをオペレーションしている。


その巧みさ。


そして言葉が真の輝きに満ちているのは、語る本人に哲学と理念があって、それがぶれないからこそ。


政治家としての資質には様々な能力が求められようが、言葉を制御し言葉で人々を鼓舞し、言葉で政治を行う意味において、大いなる資質といわねばならない。


厳密にいえば、政治家と政治屋を区別すべきである。


政治屋、あるいは二世という立場の政治家をみてきて、日本人は本物の政治家を潜在的に求めているのだろう。


オバマ氏は最も困難な逆境に立ち向かう。


アメリカのメディアは100日は猶予を与えるという。


オバマ氏の苦闘に、栄光あれ、と願う。

スティーヴン・ソダーバーグの、革命家チェ・ゲバラを描いた「CHE」(チェ)を観て、映画を観た人と会話を交わす機会があった。そこで、あらためてこの映画の事を考える機会を得た。


チェ・ゲバラは革命のシンボルであったが、実はボクラはあまりよくチェの事を知らないでいた。


キューバ革命を成功に導いた事や、とてもカッコいい男だなあーと写真で知れる印象は強烈にあった。


しかし、彼がどう生き、どう死んでいったかを詳しく知ってた訳ではない。


この二部に分けられて公開された映画では、それでは彼がどう生きて、どう死んでいったかが詳しく描かれているか?と問うと甚だ心もとない。(今月末に公開される第二部をボクはまだ観ていない。)


何故なら映画ドラマとして描かれる定石の説明部分が、実はそぎ落とされている。


映画には、チェの28歳の行動の断片が描写されている。


そのモザイクのエピソードは、革命の成就と成就後の1964年の外遊(NY)をパラレルに移動しつつ、積み重なっていく。


チェの行動を描くことだけで、チェの何かに肉薄したいとするソダーバーグの執念を感じた。


あるいは行動するチェを見続けたいという欲望が、ソダーバーグを支配しているのだろうか。


彼と彼を取り巻く風景を切取ることに対するオブセッションは静かに持続していて、キャメラ・アイの存在を滅却させようとするかのようだ。


RED ONEの撮影も、この「見続けたい」欲望を、どんな密林であろうと小屋の中であろうと叶えるための手段に思えるのだ。


おそらくソダーバーグは、如何にチェは生き、そして死んでいったかを見届けたかったに違いない。


等身大のチェの28歳と36歳を見ることで、チェという存在の実存に迫りたいというのが、ソダーバーグの創造原理ではなかろうか?


ソダーバーグが「ソラリス」で控えめに試みた生と死の相克が、チェと役者デル・トロを得て深く探求されている。


しかし映画の表層は、淡々と装っている・・・。

スティーヴン・ソダーバーグ監督の最新作「CHE」の第一部を観にいった。


チェ・ゲバラを描いた映画だが、ソダーバーグらしく、単なる伝記映画ではなかった。


20世紀のイコンとなっているチェ・ゲバラがいかに生き、いかに死んでいったかを、ドキュメンタリストの視点で描いている。


主演のデル・トロが「トラフィック」出演時にソダーバーグにゲバラを演じたいと話したらしい。


その出発点から作品完成に至るまで、長い道のりがあった。


パンフレットのライナーノーツを読んでいたら、新機材RED・・・という記述に出会った。


そういえば、エンドタイトルロールに、「2001年宇宙の旅」のHALコンピュータの赤い眼のような見慣れぬロゴがあった。


それがRED・・・だった。


最新鋭のHDDキャメラらしい。


写真の質感とフィルムの感触・・・。おそらく機動性と制作コストの低減にも寄与しているはず。


もっといえば、チェ・ゲバラの生と死に併走するためには、このようなハンディなカメラが必要だったのだろう。


ソダーバーグは、自らキャメラを回す監督。


だから、彼を信じている。


●RED ONE

原題は「LIFE STRATEGIES」。

ストレートだ。「人生戦略」である。


訳者は今をときめく勝間和代氏。勝間氏が逆境の時、人生の羅針盤となった本と云う。


全米370万のベストセラーで430頁に及ぶ本の358頁まで、読み進んできた。


ねばっこい文体は訳者の勝間和代氏のトーンというよりも、原文自体がロジカルなのであろう。


最初から半ば強制的なカウンセリングを受けているような錯覚に陥った。

アグレッシブであり鼓舞しようという意図が感じられて、そこが面白い。

日本人にはあまりみないパワーをそこに感じる。

あるいは宗教的バックボーンを感じる。


アメリカという国家が抱える社会問題ー訴訟社会、DV、さまざまな病理等がケース・スタディに現れる。そういう意味でアメリカを学ぶ副読本的な役割も果たせる本だ。


一方、日本もしくは東洋思想は、この本を貫くロゴスとは違う位相を有しているようだ。


勿論、人生に戦略は必須である。

しかしエロスもまた必須であろう。


人間はどこまでロゴスとエロスを融和させうるか・・・ボクにとって興味はそこにたどり着いた。


ヨーロッパのクルマにあって、アメリカのクルマにないもの。

アメリカン・ダイナーと和食との差異。

あるいは雨や桜の気配などもまた。


日本人の人生戦略は、おそらくこのロゴス的戦略とエロス的戦略の融合の上に成り立つことが可能ではないか。


秘すれば花


そんな人生戦略を、著者はどう評価(あるいは却下)するであろうか?