村上春樹氏がエルサレム賞を受賞した。そのスピーチを日本のTV局が報道する。繰返し、村上氏のスピーチ原稿を読んで、TVの持つトリッキーな解釈の在り方を知る。TVは刺激的で、誰もが呑み込みやすい切り口で報道する。それを批判するつもりはない。むしろ、このような報道がもっともっとTVを通じて、日本国民に届くことの方が、日本と世界のために<良き事>であろう。スピーチとは、どういうものであるか?-その答えがここにある。世界を変えるものなのだ。言葉を扱う小説家(novelist)の立場で、村上春樹氏はスピーチを行なった。日本の最良の知性と最低の知性をみることが出来た一日。そういう歴史的一日を、ボクは胸に刻んだ・・・。
村上春樹の「風の歌を聴け」にインスパイアされたのだろうか?・・・この「鉛筆手書きアニメ」のタイトルは「風の歌を聴け」である。今日手にとったRECRUITのR25のP45に「おそるべき描き込みと街への愛。」というタイトルで、この動画は紹介されていた。とても素晴らしい作品である。この作品のおかげで、ボクは久しぶりに村上春樹のこの小説(ハードカヴァー)を紐解いた。講談社から1979年7月25日に第一刷、ボクが購入したのは第五刷。1980年9月22日の版であった。冒頭の一文に、“鉛筆”でアンダーラインを引いていた。その文章を引用しよう。-「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」(引用終り)。ボクの鉛筆の文字は巻末にこんな表記をしてる。ビール・・・63回。村上春樹はこの小説で、ビールと63回書いている。村上春樹という新しい才能に出会ったこの小説。今日、YouTubeで、この小説のタイトルを冠した“鉛筆”で書かれたアニメに出会った。これもまた新しい才能との出会いの形である。
ソダーバーグの最新作「CHE」で使われたRED ONE。新たな映像の地平を切り開きそうなメカが登場してる。このEOSで造られたムービーをみて、きっとこのキャメラで撮られた映画が近々登場するに違いないと思った。キャメラのコンパクトさでこそ撮れる映画というものがあるだろう。戦場の従軍カメラマンが視る映像をEOSでムービーにすることを想像する。もしもスタンリー・キューブリックが存命ならば、真っ先にEOSを取り寄せるに違いない。映像とメカニズムは共に手を携えて歩む。いや走る。

オバマ大統領と麻生首相の演説を比較して、今朝の民放TVで面白い比較をしてた。


オバマ大統領はWeを使い、麻生首相はIを使う。


オバマ氏がYes,We can.と云えば、聴衆は「Yes,We can.」とコールする。


私たちは出来る、だから「やろう」と、言葉が響く。


それが言葉の力である。


一方で、「私は」「私は」と語る。

「私は逃げません・・・」。


TVでコメンテーターは「選挙から逃げてるではないか」と突っ込んでた。


「身を捨ててこそ・・・」と宮本武蔵は切り結ぶ刃(やいば)の元で哲学したが、自分自身の利得を超え民の幸せを叶えるために尽力する政治家もいると信じたい。


尊敬(リスペクト)されない大人かどうか?                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               


政治家であろうと何であろうと、我々大人は子供たちに未来を指し示す義務と責任を負っている。


自分だけがよければ、という論理と倫理では、幼稚園の砂場ですら信頼を勝ち取れない。


もって他山の石としなくては・・・。

21日深夜のTVでオバマ大統領の就任演説を生中継でみた。ワシントンに集まった約200万人の聴衆もまたその現場に駆けつけるだけのモチベーションを持っていたに違いない。たんに熱狂するという域を超え、祈りに近い感情や悲願の実現に立ち会う人々が多いに違いない。「アメリカの再生」と「新たな責任の時代」を語ったオバマ大統領は、最も困難な仕事に立ち向かう。アメリカ国民もまた同じ思いで困難を乗り越えてほしいとする彼の演説は、夢や希望よりも現実を直視し行動を促すものであった。オバマ大統領がアメリカを再生することに否定的な論調が日本のエコノミスト、評論家に多い。安全圏にいて予測をたて、その予測がことごとく外れても新たな予測で飯を食いつなぐ人々にとって、アメリカの建国の歴史は遠いものなのであろう。オバマ氏はたとえ敗れ去ろうとも戦いを止めないに違いない。戦いを止める時は「アメリカの終わり」であると、誰よりもオバマ氏は知っている。本物の知性は行動によって世界を変えるということを証明してほしいと願う。史上初めてのインターネットによる草の根民主主義を実践したオバマ氏を静かに見守っていきたい。