ナシジオで92年のロスアンジェルス暴動のドキュメンタリーを観たの。
 死者53人、負傷者2000人以上。放火3600件、崩壊した建物1100件。被害総額10億ドル、逮捕者約1万人にものぼった事件の背景。逮捕者の42%が黒人、44%がヒスパニック系、9%の白人で。現在の米政権への警鐘にもなっている。  

 その背景としてね。ロサンゼルスに潜在的にあった人種間の緊張。黒人の高い失業率、市警察による黒人への恒常的な圧力、韓国人店主の黒人蔑視、そういう差別に対する重層的な怒りがサウスセントラル地区の黒人社会にはあったの。

 そこにロドニー・キング事件と呼ばれる、黒人運転手のスピード違反容疑に20人の警察官が無抵抗の運転手を殴り蹴り殺した映像がネットに流れる。
 そのLA市警警官に対して陪審員裁判で無罪評決が降りた。陪審員は全員白人で白人地域の裁判所で扱われたこと。  

 その僅か13日後にラターシャ・ハーリンズ射殺事件が起きる。
 15歳の黒人少女が韓国人店主の店でオレンジジュースを買おうと小銭を握りしめ訪れる。万引きを疑われたのか口論揉み合いの後、ジュースを買わず店を出て行こうとした少女を店主が背後から銃で頭を撃ちぬいた。この店主への判決が異例に軽い保護観察であったことに黒人社会の怒りが一気に噴出したの。

 91年、ラッパーのアイス・キューブはアルバム“Death Certificate”のなかに収録された“BLACK KOREA”という曲に黒人に敬意を払え でなきゃお前の店をカリカリになるまで黒焦げにしてやるぶっ殺す。という歌詞もみられるのはこの事件のこと。

 韓国人店主の多くはベトナム戦争の帰還兵で。ベトナム戦争に参加の韓国人帰還兵に米国政府が移住許可を与え70年代に韓国系移民が4倍になった。彼らは競合相手の少ない黒人街で商売を始め、従業員には黒人でなくヒスパニックを雇ったのね。  

 黒人牧師が正義と秩序無しに平和は望めない。民主主義の国アメリカは是を許すのか、って演説は理があると思えるんだけど。暴動は一旦起きると歯止めがきかなくなる。  

 暴動地区を通りがかった白人のトラック運転手が引きずりだされ、顎と足を砕かれ眼球を潰されるという惨酷が起きる。みかねた黒人が助け出す様子も映像にあるんだけど。  メキシカンは通せ、白人と韓国と日本はダメだ殺せって、黒人若者の言葉にどきっとする。

 略奪された店の黒人店主が泣きながら、こんなの間違ってる。おれもゲットー出身だ。一日中働いて店をやっと持ったのに。こんなの黒人パワーなんかじゃない。オマエらは白人よりマシだと言えるのかって叫ぶ。

 韓国人店主のばあさんも、ここはアメリカだ、戦場じゃない。こんなの不公平だ、なんで黙ってみてるのと近所の人に訴える。

 黒人のおじさんも、黒人差別に異議をとデモに出たがこれは酷すぎる。同じ街に暮らしているのに。これじゃ正義でもブラックパワーでもないと。

  警察官も、手を出すな銃は禁止と命令され石や卵をぶつけられて。湾岸戦争のがまだましだった街を守ろうとしてるのにと涙ぐむ。若い州兵も、自分の国でこんな任務に付くなんて信じられない気持だと嘆く。

 ついには州兵と4000人を超える連邦軍(陸軍、海兵隊)までが投入され、さらには司法省がFBIによる事件の再調査を決めて収束していった。
民族対立や人種対立を煽ることがどれ程危ういかと、つくづく思うのね。

 平気で韓国チョウセン殺せのようなヘイトデモがあり、政治家ともあろうものが戦争へ向うような対立を煽る。年寄りが悪い、貧乏人が悪い、女が悪い、オマエが悪い。そこに正義の旗を振り回すけれど。敵はそこにいるのかね。  

 先日「ノー・マンズ・ランド」ってボスニア紛争の戦争映画を観ても。停戦交渉中に中間地点に取り残された3人の兵士。昨日まで村人で同じ言語を話しながら、セルビアが戦争をしかけた、いやボスニアだと争う。何のために誰のために闘っているのかと重く心に残る作品だった。


 
 わずかな慰めは、ロス暴動後に平和デモがあって人種問わず大通りを行進する人々。黒人もラテンも白人も韓国人も手を取り合って歩む。

 挑発や煽りに乗らないでいる冷静さを、知性を、情愛や信頼を失う事の怖ろしさを改めて感じたのでした。