人其々なんらかのこわだりってあるもんで。こだわりを辞書的に調べるとあまり良い意味には使われない事が判る。自由に考える事ができないとか、気にしないでもいいことにこだわる。済んだ事に拘るとかね。

 コピーライターの川上氏が、今の世間はこだわりの氾濫で、こだわりの店からこだわりの葬儀から情報誌などこだわりだらけだが。ほとんど中味がない。こだわりバカが多すぎるとバッサリしている。言葉は時代によって意味さえも変わるものだから、やばいってネガティブな言葉がスゴイって意味になったりね。

 旨い店の選び方に「こだわりの料理」「旬の食材」「伝統の技」とかの言葉を看板にしてないことを基準にしているフード評論家もいるらしい。

 この話と自分のこだわりは直接関係ないんだけど。自分がこだわることを改めて眺めつつ。言葉や服装まで自分のこだわりはあって。それは好みとか価値観にも近い認識かな。びらびらした服は安価でも貰っても決して着ないとか、ツイで個人に侮蔑的言葉を使わないとか。自己境界っていうかね。

 TVのアナウンサーの言葉や報道の誘導言葉、政権擁護のネトサポの日本語など気にしてるとキリがないしね。

 あれれ、ほんとは英国ミステリーと時代背景から英国を知るって記事を、ポアロ全七十作品を観たから書こうと思っていたのに。まぁ誰も読まないテーマだろう(笑)

 もう一つは情とイデオロギーについてなんだけど。これももう少し整理が必要かな。ツイで絡んでくる人がブログにまで嫌がらせコメしてくるんだけど。人に絡んでるヒマがあるなら。自分の意見は自分で書けとしか言いようがないね。あたしゃ生きるのに忙しいのじゃ。