独裁者とという言葉で思い浮かぶのは誰だろう。ヒトラーか、今なら北の将軍様とかだろうか。

 昨夜は10時ごろに寝てしまって夜中の2時に目が覚めてしまった。それでヒストリーチャンネルで「独裁者の日常」って番組をぼんやり観たんだけど。ウガンダのアミンとリビアのカダフイ、ソ連のスターリンを取上げていて。その恐怖政治の実態が生存者のインタヴューと映像で語られていた。

 勿論、このドキュメンタリーが西側の製作であり、その視点にバイヤスを掛けて観たんだけれど。

 例えば中米ではカストロもチャベスもアジェンデさえ米国から見れば独裁者であるし。日本の江戸幕府も独裁であったとも云えるのだからね。
 スペインのフランコも独裁者であって、その伝記や養子だっホアン・カルロス王の自伝も読んで。決して支持はしないが、彼なりの王党派の愛国心というのがあって、生涯質素で子も持たなかったのは事実だ。

 独裁と虐殺は密接であって、アミンは30万人虐殺しスターリンは200万人の人々を粛清銃殺しシベリア収容所で殺したとか。カダフイの黄金宮殿の地下には核シェルターや手を付けた女性たちの中絶病院まであり、行方不明者は跡を断たなかった。

 興味深かったのは、アミンも辺境カウク族の貧しい出自で、カダフイもベドウインのテント暮らしの貧しい羊飼いであって、スターリンも貧困底辺労働者だったんだね。それが帝国支配、植民地支配への抵抗として英雄になっていった。頼れる力強いリーダーを庶民が求めたってこともあるんだよね。

 心理学者がアミンは呪術型サイコパスで、カダフイは妄想型サイコパスであり、スターリンはソシオパスだったとか述べていたけど。自己愛が異常に強く共感性に欠け猜疑心が強い、というサイコパスの面があるようだ。アレ、思い浮かぶ人もいるが。

 アミンは亡命先のサウジで69歳で病で死に訴追される事は無かった。スターリンは脳卒中で執務室で数日発見されず死に、カダフイはご存知のように捉えられ惨殺され。その動画を観ながら手を叩き喜んだクリントン女史の姿は衝撃でもあった。

 一方米国は独裁では無い民主主義の国であって。日本も戦後民主主義の国として先進大国を追い上げるように発展してきた。はずであるよね。

 自分が中米滞在でその歴史を読んだり話しを見聞きして、「サンチィアゴに雨は降る」などの映画も観たりで思ったのは、米国は表に出ない植民地政策、独裁支配をしてきたってことなの。つまり経済や制度を使って実際的独裁を傀儡政権という形で行なってきた。

 かって西部開拓史で悪いインディアンを一掃して領土を拡大し、南北戦争で北軍の勝利によって奴隷を解放したという輝かしい歴史は果たして正義なんだろうか。現実に今の米国で黒人差別や異教徒差別が無いと思う人はいないだろう。

 歴史を振り返って眺めれば、人の愚かさが多くの誤りを生むことは自明のことで。だからこそ社会的生物である人間は、規律や規制や法という歯止めを作ってきたんだろうし憲法もそうだよね。議会や司法もそれを助けて機能してきた。

 ネットでは安倍総理を独裁者と呼ぶ人もいるけれど、虐殺も強権支配も無いと反論も多いだろう。平和だし大袈裟だよってね。けれど時代や形態は変化しても、独裁という怖ろしさは人の我欲のある限りは存在するのだろうと。普段は呑気な楽天家の自分も思うんだよね。

 独裁者の共通の一つがネポティズムで。縁故主義(仏 népotisme)っていうのは「親族の縁、地縁、血縁などの縁がある縁故者のほうを重用し、正しさよりも縁故を優先してしまう考え。 社会学分野では、同族・同郷者に限らず同じ共同体に属する人間の意見ばかりを尊重し排他的に偏よること。のようだけど。

 縁故主義とかいわずとも、日常にもあって悪い事ばかりでは無いよね。先輩が後輩を引き上げたり、親類の紹介で就職したりもあることだろう。日本だけでなく、そういう関係が良い面でも悪い面でも長くあるんだよね。学閥とか閨閥とかもある。

 今の日本の政権に於いては、地盤看板金庫番を引き継いだ政治家があまりに多すぎて。まさにネポティズム政権なんだよね。同族会社に例えたことがあるけど、ワンマン同族会社だね。

 そこでの問題は何かと云えば。優れた能力のある人より、無能な縁故者が優先され権力を振るう立場につくことで。

 生まれや血筋は選べないから、そこから外れた人には希望が限られてしまう。それでなくともいまや親の経済力が学力になっていて、貧困家庭に生まれたら針の穴を通るような道しか可能性が無い。そういう人に自己責任なんて言えないよね。

 希望や可能性の豊かさが無い現実は暗雲のように世相を覆って。短絡的で殺伐とした事件も毎日のようにニュースにあがる。ましてや見えない爆弾のような放射能問題は解決も見通せない。

 昨日イエメンのコレラ蔓延の記事を読んで。かってのウガンダのコレラ発生難民キャンプの悪夢が蘇ったんだけど。人が餓死したり感染で亡くなる原因の一つは、極度の不安によって免疫力が落ち心が希望を失うことだと思う。そういう情況に陥るのは短時間だけど、その回復にはかなりの時が必要になるんだよね。

 それでもまだ、人は愚かであると同時に生存への判断も知恵も持ち合わせている。憂いつつも日々の中に愉しみを見出す底力もあるはずだと。

 英国も米国も大国の落日を見るような時代で日本もね。隣国を蔑視しているうちに技術も物作りも経済も社会制度も追い抜かれているような側面もあって。変革の時代に、何処へ舵を切るのかを迫られているんだと思うよね。

できうれば、次の世代やその子供達にとって生きやすい風通しの良い環境になってほしいと願うばかりだが・・

ネットにあった他家の可愛い猫でも眺めて、気を取り直す朝。勝手にお借りしてごめんね。