桜便りかと思えば、もうすっかり初夏の気配です。日々は、め巡るしく遷ろっていくのよね。

 すっかりご無沙汰で、書きかけの江戸物もメモとして幾つか手つかずのまま。いきなり足が麻痺したり、右目のまぶたが開かなくなったりしながら。相変わらずツイッターでぼやいたり、海外ドラマを観たりゲームしたり生き延びております。目の手術とか血管の手術とかあるんだけど。臆病なんでなるべくしたくないなぁと思っているの。

 でんでん総理の狂態ぶりも法務大臣のしどろもどろも、眺めているとやりきれない悪夢のようだけど。ここまで国の私物化があからさまになるのは、過去の自民党政権でも見た事がない。

 政権への疑問は民主政権の時も批判はしたけど、それは大人の市民の義務のようなもんで、子や孫や次世代のことを考えるからなんだけど。ここまで酷いとね。もう国会も議論の場でないかのようで、日本語の意味も不明になりつつあるものね。

 ネットの女友達と話していたんだけど。からんでくる若いと思われるネトウヨさん達って、覗いてみると生活感がないっていうか。自分の主張ってより他人を罵る言葉と、冷笑揶揄の言葉ばかりでなんだかなぁって。

 自分の生活スタイルや、自分の思考を肉付けしてくれる音楽や映画や本や絵画を無理してでも変わらず取り入れ続ける事は、どんな情況にも絶対忖度しないいい免疫力になるってね。

 小さき物、愛らしいもの、大好きな音楽、愛する人。それを懐に抱えていることは人生を豊かにするし、物事の見方にも深く響くものよね。どんな情況になってもそういうことや記憶は支えになってくれると思うんだけど。

 今日は「蝸牛の殻」っていいブログを読んだので、紫陽花にはかたつむりが良く似合うなぁって思いながらひと呟き。


 関係ないけど、原宿の大田美術館でやってる「浮世絵動物園」から歌川国芳の「屋根の上の猫の喧嘩を止めようとする猫好きの小僧。愛らしい。