自分はたぶんに常識的な凡人だと思っていて、それなりの良識も有してると思っているんだけど。
以前ブログ友達に、momoさんが常識人であるわきゃない、ヘンでしょう。と言われたことがある。そうかやっぱしヘンなのかなぁ。

 私がヘンな人って呼ぶときは、概ね褒めているので、だからそれを褒められたと思っているんだよね。ヘンな人が好きなんだけど、ヘンな人にもいやぁーな人もいて、変な人ねぇって優しく褒める人もいる。ヘンなオカルト話も好きだし。

 職業と人間性が別物と同じように、仕事が出来て一緒に組むのはいいんだけど、どうにも性格が悪くて仕事帰り一杯やろうよって思わない人もいれば、いい人なんだけど政治的立場が全く反対って人もいる。

 時によって自分の価値基準が変わる事があるから何時もいい人とは限らず、自分自身だって意地悪ばあさんの時もあれば、慈母のように寛容で穏やかな時もあるって、あんまし無いけど:

 ネットでは顔がみえないんだけど、プロフ写真やお目にかかった場合は雰囲気とか顔付きとかちょっとした態度ってのもあるよね。文章も一つの顔であり、意見も一つの顔でもある。阿修羅のように人は多くの顔を持つのだからね。

 ピカソだってダリだって友達だったらヘンで嫌な奴だろうし、哲学者でも科学者でも業績は認めるけどオトモダチになりたくない人なんか幾らでもいるよね。

 同じ趣味の話だけしていれば仲良くやっていけるけど、政治の話になると論敵になってしまうことだってある。上手くやって行くために当たり障りの無い話題で過ごす時だってあるよね。

 喧嘩上等ってツッパリじゃないんだから、むやみやたらと喧嘩ふっかけたりしない。何しろ常識人だからね、って云うより人と争うのは嫌だからね。

 人は六分の付き合いって云うのはそういう意味もあるのかもしれない。夫婦恋人でも、孤独を理解していればそうなるものだよね。いつも、主人がぁ主人がぁって、夫の意見にべったりの人がいきなり離婚する事だってある。

 ヘンな人って思われているのはある意味気楽で、はいはいっ、そうですよーとにっこり流しとく。自分の正しさなんか立証責任はないしね。立派な正しい人って認識だって社会の変遷の中で変わる。

 ヘンな人が好きなのは付和雷同しないからで、個として立っているってこと、孤独ってことを表に出さなくても懐に抱えているんだと思うからかな。

 ヘンでもいいけど、嫌な迷惑ヘンは鬱陶しい。反面ヘンな人を排除するって風潮は馴染めない。差別とまでは云わないけど、一般や自分と違うからって排除する感覚は淋しい。みんなヘンならヘンは無くなる。

 今の世の中は、排除と糾弾が溢れているからね。そんでそれを煽って常に下々がいがみ合っているように仕向けるお上もあるような。金持ち喧嘩せずの仲良し政権は、それを見下ろしてもっとやれって煽っているような。

ヘンな政治家っていないもんか、潰されちゃうんだろうね。えへんえへんと威張ってる人ばかりで、嫌ヘンな国だよね。

へんに肌寒い夕暮れです。