なんとBSフジのドキュメンタリーですのよ。フジもたまには良い番組を。
2012年11月25日(日)27:00~28:55
「帰郷~アマゾン開拓の夢、その果てに・・」

何だかリンク張れないので、ググってね。

エリザベス・サンダーホームは1946年、澤田美貴さんが大磯に設立した混血児の施設でありますの。

戦後、駐留軍の兵士や外国人の落とし子は、酷い差別と戦後の混乱と貧困の中で生まれたのです。

澤田美貴という女性は、1901年9月19日 - 1980年5月12日)三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎の孫娘として生まれ、外交官の沢田廉三と結婚。4人の子に恵まれる。

敗戦後、エリザベス・サンダースホームを創設し、2000人近くの混血孤児を育て上げた。とウイキにあります。

うちのおっかさんは、澤田さんを尊敬してたようで、三人の戦災浮浪児を引き取って育てたのも、その影響があったんでは無いだろうかと思うんですの。

こういう大名門の財閥の孫娘であったにも係わらず、クリスチャンの外交官の夫と結婚して。アルゼンチン初め、ロンドン・パリ・北京と、海外を遍歴しつつ、四人の子を産んで、また貧しき人々に共感する柔らかい感受性の持ち主であったんでしょう。

マリー・ローランサン、パール・バックなどその交流も華やかですの。

ところが、サンダースホームを出ても社会では、まだまだ混血児への職業差別は厳しく、ブラジルに新天地を求めて聖ステパノ学園、ステパノ農場を作り卒業した子供達の未来をも探ったのですね。

ステパノは三男昇氏の洗礼名だったようです。昇氏はインドシナ沖で戦死。

そのアマゾンの農場に移民した卒業生のその後は、深い感動とともに観たのですが。

美貴さんは志半ばに、
1980年5月12日:スペインのマヨルカ島にて、心臓発作のため78歳で亡くなりました。マヨルカだったのね・・

偉大なる母親であった澤田美貴さん。

「人間の証明」という森村誠一原作の映画がありました。この映画はぼろぼろ泣いたのです。余りにも哀しい混血の子の果て。

かあちゃん・かあさん・ママ。
そう呼ばれる性の幸せは女のものですね。

この映画の曲は、ジョー山中が歌いヒットしましたの。フラーワー・トラベリング・バンド。

惜しい歌い手でしたね。混血の彼だから、余計にこの歌が胸に沁みるのでしょうか。この動画のコメントにまた泣いた。







7日に肺がんのため64歳で亡くなった歌手のジョー山中さん(本­­名山中明=やまなかあきら)の葬儀告別式が12日、東京・北品­川­のキリスト品川教会で営まれた。

参列したミュージシャンの桑名­正博­(57)、ジョニー大倉(57)が取材に応じた。 憔悴しきった様子で現れた桑名は、「最後までジョーは闘っていた­­」と故人をたたえた。 最後に会ったのは、俳優の原田芳雄さん(享年71)の初七日の帰­­り。「芳雄さんの初七日が終わって、その足で(ジョーさんが入­院­していた)横須賀の病院に行って。芳雄さんをお見送りしてき­たよ­、頑張ってねって伝えました。もうしゃべることはできなか­ったけ­ど、目で会話をしました」と振り返った。

目を真っ赤にして「ゆっくりしてくださいと伝えました。そのうち­­僕らも行くんで。芳雄さんもいるし、(俳優の松田)優作もいる­し­、みんなで仲良くして。音楽界にどんな功績を残したかってい­うよ­りも、彼自身が音楽だったと思う。こんなこと言うのも変だ­けど、­これを機会に、ジョーが築いてきた音楽を若い人たちに聴­いてほし­い」としのんだ。


まだまだ本物の役者がいた時代。絶対にリメイクはやらなでいただ­きたい。