時代劇と一口にいっても、勧善懲悪物から市井の人情話から、理不尽なお家騒動物やら、秘剣などの剣豪作品まで様々であるのに。

ぼんやり眺めていても、妙に安心するのは何故なんだろう。家屋や桶や樽や籠やらの生活小物から、質素な長屋、ストイックな武家屋敷までね。

吉谷さんが書いてらしたけど、陰影ってあるのよね。ぴかぴかに明るい所は無くって、薄暗がり、ぼんやり暗い、漆黒の闇とか、その濃淡が暮らしの中にって

勿論時代劇なんかでは、撮影の可能な照明ではあるんだけどね。此処が撮影部と照明部の見せ所なのよね。

実際は明治の中頃までは、まだ江戸であってその記憶は、100年前より身近なんだよね。

直接見たことは無くっても、どこかDNAに欠片が残っているのかも知れない。

人についても、かって大杉重一郎氏がいった人の美徳のように。

彼らは嘘をつきっぱなしについた。
彼らは吉兆をつけて花をかざった。

彼らはよく小鳥を飼った。
彼らは約束の時間にしばしば遅れた。

そして彼らはよく笑った。

そうなんだよね、嘘は楽しんでつくもんだ。そして、それを笑い飛ばせる、人の間が大事なんだよね。

実に、遊び心と言うのは偉大でございます。

今日は内田氏の書かれた、人の劣化について、ぼんやり考えていたんだけど。

やはり養育と言うか、幼い頃からの暮らしを楽しめる能力、生きることを良き風に味わう。他人と共生して他者の暮しをも思い遣る。

そういうもんは、ゆとり教育なんかじゃねぇの。

心栄えってもんなんだよなぁ・・失われてしまうには余りに豊かな日本人の遺産なのよね。

   桃林の桃源郷