「江戸商売図絵」に描かれてるのは、
時代的には江戸の後期、文化文政の時代らしいの。

十一代将軍・家斉そうせい様の頃ですね。側室40名、子供が55名という大奥好きの御方。世継ぎが立て続けに亡くなって一ツ橋家から将軍になりやしたの。在職50年は歴代の中で最も長かったのね。

田沼時代から松平定信の寛永の改革をへて、鬼平こと長谷川平蔵の活躍もあった時代です。

化政文化と呼ばれるように、江戸の町人文化や地方文化が、華やかに花開いた時代。

「江戸商売図絵」を繰りながら商売を見ていると、すごく細かく小商いがあるのに気がつくの。梅軒さんがコメントで仰ったように、小さな稼ぎをくるくる回すっていいですの。

相変わらず、何の役にも立たない話ですが。

大店も勿論あったんですが、路上の商いが多い。向うから売りに来てくれるって便利ですの。売り声に通りに出れば、そこでほとんど用が足りますもんね。

それに売り姿が其々で、姿を見れば商いも判ったの。衣・食・住と分けてみますと。

<衣>
「紅屋」紅は紅花の野花を練り固めた物でして光の加減で、玉虫色に光る。寒の見ずで作ったものものは寒紅といって、寒中の牛の日に売り出したんですね。日がたっても色が変らないと人気があったようですの。当時の紅は貝殻に詰めて高価だった為に、下町の娘には中々手が出
なかったようですの。

白粉や松金髪の油なども、合わせて売ったようで、これは店商い。紅染めの木綿の小旗が看板でした。「紅屋の看板赤旗のずんど切り」と古書にありますの。

今で言う化粧品屋さんですが、松金油はヘアオイルで店には「釜本」と掲げましたが、これは元祖と同じでどこの店も名乗ったのよね。

「女髪結い」
寛政の初め頃に、上方の女形で山下金作って人気者がおりましたの。その鬘を作っていた鬘師が、金作の鬘に似せて中町の芸者に髪を結ってやりましたの。

それが大層評判になって、芸者達が一度二百文で頼むようになったのが、女髪結いの始まりとか。賃金は月ぎめと、結うたびに支払うのとあったそうでやす。

大店の奥様ともなりますと、贔屓の女髪結いに、仕着せといって正月七日に着物を新調してやったり、時には芝居に連れて行ったりもしたそうです。

江戸でも上方でも女髪結いは前垂に、木綿青梅縞に縮緬朱子の帯、前垂れも縮緬で、特別上等でもないけれど、普通の女より粋で綺麗に見える。

寛永の改革の折に、禁止され絶えてしまったといいますの。

これに対して男の髪結いもおりまして。自宅で商売する内床、道端や橋の袂で営業する出床、町家を廻る廻り髪結いとございましたの。内床は浮世床にあるように、男達の社交場でもあったんだろうね。

宇江佐真理氏の人気シリーズ「髪結い伊三次」は、この廻り髪結いの設定で、過去を持ち八丁堀のお手先となって、情報収集したり捕り物に活躍するんですの。

憧れる役柄なのに、テレビドラマ化もされたんですが伊三次は橋之介ではないのよね~;

あたし的には断然三浦浩一、誰もしらないか・・鬼平の密偵伊三次、剣客商売の四谷の弥平次。

もう、一度でいいから御願いしたいってお方ですのん。はぁ~っ、きりっと粋で、縞の前裾をちょいと手で持ち、蕎麦屋の暖簾を肩で分けて入ってくる時なんか、もうぅたまりやせん。

桃林の桃源郷

お姿を眺めていたら想像世界にぶっ飛んだんで、今日はこれまで。

わっちも、まだ女ってことでやんす・・

桃林の桃源郷