立て続けに二本時代物の映画を観ましたの。「天地明察」と「のぼうの城」です。
昨今、時代劇は瀕死でございますの。それは何故なんだろうと考えるのです。
二見書房をはじめ、時代物は本ではしぶとい人気があり。スカパーでも時代チャンネルは、全体の6割近い視聴率です。
つまり潜在的な鑑賞者・読者は存在してるんですよね。尚且つ、まだ取りあえず小道具セットロケ地も残っている。
勧善懲悪のすっきり感もよし、情愛溢れる市井物もよし、武士道の誇りや礼節も美しいのにね。
あたしは子供や若い人にこそ、観て貰いたいと思うのよ。美しい日本を、コピーとして使うだけで志の無い政治家の戯言ではありませぬ。
この二作品は文句は色々あるんですけれど、時代劇に挑戦してくれたことには敬意をはらうんですの。
吉衛門がいみじくも言ったように、時代劇には手間隙掛かるのです。アイドル的なイケメンがふらりと地でできる役柄も無い。
歩き方、座り方、所作の全てに修行がいる。武士なのか、町人なのか、職人なのか、物の言い方や佇まいまで、意識を変えて臨まないとなりませんの。
かっての忠臣蔵外伝が製作された時に、ヒロインがいかに、当時の武家の女性を演じたかの番組があったんですが。
茶道・華道・琴から学んでアイドルが女優になるまでね。それ位に修行がいる故に、歌舞伎役者や狂言など、古典を学んだ人が役者に使われる事も多いのです。
さて「天地明察」は、沖方了の原作を基に、「おくりびと」の滝田洋二郎監督の作品です。原作者が30代の若さというのが驚きでしたが。
以前、江戸の数学で記事にしたように、当時の「和算」の素晴らしさ、世界でも突出した数学術を持っていた江戸中期。
それまでの中国の暦の誤差を見出し、新たな正確な暦を作ろうとする算学者達の姿と、暦によって吉凶を選び方角を避けた庶民の姿が生き生きと描かれていますの。
元々地味な原作で、時代物としての派手な所は微塵も無い。一番感動したのは、測量の旅に算哲(岡田准一)が出る話でした。
建部伝内、伊藤重孝という年長・上役の天文学・算術の大先輩たちと、道中の歩数で測量をして、その日の計測地の北極星の角度を、当てっこする場面があるのです。
見事寸分たがわず「明察」した算哲の答えをみて、年長者2人は心底嬉しそうに「見事だ!」と大喜びするのです。「自分が年長者なのに」とかいうような屈託もない。
正解を出した者への「すごいなお前!」という純粋な驚きと称賛。そして、新しい知識への好奇心。
なんというか、本当に学ぶこと、知ることが好きな人って、こんなふうに「知識」や「発見」に触れることができるんだなぁと感動してしまいました。
建部伝内(笹野高史)伊藤重孝(岸辺一徳)が素晴らしい演技。水戸光圀(仲井貴一)保科正之(松本幸四郎)も楽しんで演じてるね。えんを演じた宮崎あおいは確かに可愛いし。
けれど、いくら観客を呼ぶには仕方がないとはいえ、ジャニーズ系は勘弁して欲しいのよね。
主演の岡田准一も本因坊役も、芝居が下手すぎて泣ける。
それと詰め込みすぎてテーマがぼやけてる。夫婦の情愛なんかここではさらりと流してくれと思う。多分に脚本の問題と監督のすべった思い入れなのか。
片や「のぼうの城」主演の野村萬斎はさすがでございました。それに基が脚本のノベライズとあって和田竜が脚本を書いている。
長い映画なんだけど見応えがありました。でくのぼう「のぼう様」と呼ばれた城代成田長親が、秀吉の命を受けた、石田光成の二万の大軍に、僅か500の兵と百姓で立ち向かうお話。
でくのぼうと呼ばれ、将に求められる武勇も智謀も持たない、その名の通りでくのぼうのような男。
けれどこの男にはただ一つ、他人に好かれる才能、特に異常なほどの民からの「人気」があったのだ。戦いの果ては・・
脇の佐藤浩一他、武将はぴったりで良かったけどね、三成の上地雄輔と甲斐姫の榮倉奈々って、なんだかなぁ~;
絶対姫にみえないもん、農家の娘でしょ。首が短くって鼻が団子鼻で気品もないしねぇ。
映画としては「のぼうの城」に軍配ではあるけど、「天地明察」のような映画を地味にきっちり作ってくれたらね。
私としては、好みの作品でございますのん・・・
映画評にはなっていませんですんません。