ひとつの楽曲を巡ってはそこに歴史があるね。
クラシックでもジャズでもフォークでもね。
何故その歌が生まれたのか、誰が歌い、
それをどんな人達が聞いて、また歌うのか。
国というものにより、国境と言う線引きによって、
人は分断され引き裂かれても、
思想の違いや宗教や習慣は違っても、
一つの歌や曲を聴いて感じる思いは、
そんなに違わないような気がするんだよね。
つまり他のアートもそうなんだろうけど、
その線引きを軽々と越える力があるんだろうね。
「花は何処へ行ったの」の歌にまつわる物語を、
テレビで小林克也が案内していたの。
アメリカンフォークの神と呼ばれた、
ピート・シガーが作った歌ですの。
彼は当時読んでいた、
ミハエル・ショーロコフの「静かなるドン」の中の、
貧しいコザック兵が思い出す子守唄に感銘を受け、
この歌を作ったんだと云うの。
ショーロフはもう亡くなって娘さんが、
静かなるドンの子守唄の背景を語る。
戦争に駆り出され家族を守りたいと戦う、
凍った大地のコサック兵が思い出す温かい子守唄。
花はどこへいった・・娘たちが摘んだ、
娘たちはどこへ行った嫁に行った。
男達はどこへ行った戦場へ行った・・
ピートまだ81歳で存命で日系人の奥様と、
町外れの森の中で農作業をして暮らしているの。
すごく素敵な爺っぷりでいいのよ。
途中、現在も続いているフォークフェスの様子も、
画像が流れたんだけど、
会場の周囲のキャンプは、
フォーク世代の老人も多いんだけど、これがまったく格好良くって、バンダナに白い髭にジーンズも渋くってね。
ほとんどの人がこの歌を知っていて歌えるの。
ウディ・ガスリー、PPM、キングストントリオ、
ボブ・ディラン、ジョン・バエズ全ての、
フォークシンガーに影響を与えたんだけど。
ベトナム戦争の頃から反戦歌として歌われるようになったの。
子守唄が反戦歌になっていったのよね。
遠い国の戦争、米国の正義の戦争だと、
関心の余り無かった米国の若者達も、
ベトナムのテト抗戦あたりからどんどん変わっていた。
それは戦場の兵士達の姿が、報道されるようになって、
わずかな休憩の合間に戦車に腰を掛けて、
ギターでこの歌を歌う兵士達の若い横顔に、
大儀無き戦争の泥沼にある、
若者の現実を人々は見たのだね。
それは世界中の何処の戦場でもある光景なの。
マリーネ・デートリッヒはおっかさんが大好きな女優でした。彼女はヒットラーのドイツを嫌い米国に亡命する。
祖国からは裏切り者とされても挫けずに、
戦場近くでリリーマルレーンを歌った。
その古いドイツの歌は戦場に流れて、
東西のドイツ兵達も故郷に残した家族を想って、
ひそかに涙したのね。
そのデートリッヒは引退してからも、
また50歳を過ぎて、
この花はどこへ行ったをステージで歌い続けた。
アイルランドのトミー・サンズもサラエボのチャリストも、
紛争地の人達がこの歌を演奏するようになったの。
東ドイツ生まれのカーシャは、
サラエボで金メダルをとったフィギャスケーターで、
スケーターとしては盛りを過ぎて、
引退してたにも係わらず、戦争への怒りと悲しみを持って、28歳で再びオリンピックに出るの。
曲は花はどこへ行った・・
素晴らしいエモーションの演技で、
結果は八位でしたが会場の人は総立ちで拍手し、
投げ込まれた花は全ての競技で一番だったという。
一つの歌にも時代はあるんだよね。
反戦歌なんか歌われない時代がいいに決まってるの。
そういう時代は、何時か来るだろうか?
その質問に多くの人々は答えていました。
来ると信じたいが、それはかなり遠い先だろう。
信じてるわ、信じてそうなるよう努めるべきよ。
残念ながら来るとは思えない・・現実を見るとね。
色んな答えがありましたが、自分はどう思うか。
しばらく考えてしまうのでした・・