あたしの家はおっかさんがモダンギャールで、
飲食店を数件やっていたせいで、

クリスチャンでもないのに、
小さい頃からクリスマスをやっていたのよね。

店のオードブル用に、
女中のふみちゃんが骨付きの鳥の腿肉を朝から、
蒸し器で蒸しあげて箱に詰めて六件の店に届けるの。

店のクリスマスの飾りの余りを家の壁に飾って、
小さいツリーも飾っていたの。

昭和も32年頃は銀座も神田も酔っ払いで溢れていて、
タクシーも拾えない騒ぎだったのよね。

高校に入ると店の手伝いにレジをやったりで、
クリスマスは小遣い稼ぎに精を出したの。

銀座の店の客と神田の客層はちがうんだよね。
銀座は社用族と呼ばれる人達が多くって、
ホステスも殆ど和服でしたの。

おっかさんは厳しいから店の始まる前に、
点呼とるんだけど着付けから和服の良し悪しまで、
きっちり見ては注意するのよ。

今日の話題や経済から新聞ネタも質問して、
お客様の話に相槌が打てるよう気配ってたね。

神田は問屋の旦那衆とか営業の方が多いのね。
女の子もドレスが多かったようなの。

おっかさんは全員ダンスも踊れるように、
先生を呼んで習わせたりしてた。
あたしは神田の店の方が好きでそっちへ行ってたの。

テキヤの親方で轟さんて人は粋で何時も着流し。
恰幅の良いおっさんなんだけど、
テキヤ口上をやってくれたり、大きなポチ袋を何時も持っていて、女の子やあたしにも心付けを配ってくれる。

無理は言わずやらしくなくこなれた人だったの。
この人は暮れに浅草の酉の市に店を数件だして、
ちゃんとおっかさんは行って祝儀出してた。

神田は築地一ツ橋一家の児玉組のシマで、
児玉組も店を出すからおっかさんも大変だったろうね~

そういう義理とかもきっちりこなせないと、
商売も出来ない時代だったのかも知れないし、
持ちつ持たれつの関係があったんだろうね。

スペインのクリスマスはとても静かですの。

クリスマス休暇は23日から年明けの6日位まで、
家族がみんな集まって教会いって夕食をとる。

出稼ぎに行ってる父親も遠くの大学に行ってる息子も、
家族みんなが集まってターキーやドラドって黒鯛や、
うずらの煮込みやら定番の夕食をとるの。

何処の家にもベレンって呼ばれるキリスト生誕の、
ジオラマみたいな物が飾られるのね。
クリスマスツリーはプロテスタントの習慣だからね。

桃林の桃源郷
教会の前に飾られたベレン


やはりカトリックの国だと思うけど、
大騒ぎは年越しにソル広場に集まって、
12時の鐘に合わせて12粒の葡萄を食べるのね。

その後はシャンパン開けて大騒ぎでやす。
朝まで飲み明かすから元旦の朝は、

タキシードやドレス姿のふらふらの若い子が、
タクシーを拾うのに通りをさまよっていますの。

国が変われば習慣も違うし時代によっても変わるけど、
家族の大切さを味わうクリスマスや年末は、
やはり良き時なんだろうと思うのでやす。

ブログのみなさまの楽しいクリスマスと、
良い年末を願うのでありました~♪