凛が暖簾をしまって伊三次が酒樽の片づけてると、
遅くって悪いがぁ一本だけいいかぃっと、
太吉と中也が顔を出した。
あれっ親分遅くまでご苦労さまだぁねぇ~
先ごろ思い切って十手を貰って、
使い走りの下っぴきから十手持ちになった太吉を、
凛は笑顔で迎えた。
息子の太一も紅屋の見習い奉公から近々戻って、
母親のおこうの小間物屋を一緒にやるとなって、
安気な思いで受けたのだろう。
弥吉はもう寝たかぃ、中也も二階を見上げて気遣った。
あいっ、ちょっと前に上にあがりましたよ~
良く気がつく子であたしも助かっていますよ。
おうともさぁ、利発で礼儀もちゃ~んと心得てる、
おっかさんは良い躾をなさってたんだろうなぁ。
伊三次も可愛いように微笑んだ。
ふぅむ、中也は懐で腕を組むと、ちょいと考えるような顔になった。
あいつが何かしたのかねっ、
伊三次は目ざとくそれを見て、酒を出しながら近くに腰をかけて。
こないだ、通りで焼け出された仲間にあって、
小銭をたかられたそうだが、
正直に話してくれたからおいらも咎めなかったのよっ。
三井屋の八つぁんもしんぺえして覗いてくれたしね。
あっしの時は焼け出されても、
寺の住職さんやら差配さんが親身になってくれて、
そのまま奉公に出られて幸いだったが・・
そういう子の中には人別落ちしたまんま、
道を外れていっちまう子も多いからねぇ。
いやなぁ、おいらも弥吉は、
縁者がいないって聞いていたんだが・・
弥吉のおっかさんがどういう出だったのか、
ちょいと気になって太吉つぁんに付き合ってもらって、
近所や差配にあたってみたのよっ。
おいらもなぁ近い年頃の餓鬼もいるし、
お救い小屋の件も大体判っているからなぁ。
お上は民百姓の為ってお救い小屋を設けても、
その先の身の降り方は預かり知らぬだからよっ。
ひょっとこ顔をしかめて太吉も熱燗を煽った。
蔵前の弥助親分も河岸の旦那衆に寄金を募って、
お救い小屋に寄進してるんだが、
弥吉の知り合いの粂八って子を日の出湯の、
釜焚きに引き取ったらしいのよっ。
粂や弥吉はいい人に当たって果福ってもんだがなぁ。
もしや縁者がいて心配してっかも知れねえしな、
先行きのことも考えれば後ろ盾にもなってもらえる。
そう思ってよっ、
中也に付き合っておいらもあたってみたのさ。
それで弥吉の親筋ってのはどうなんでやす。
伊三次は先をせかすように尋ねた。
それがなっ・・
下手すると武家に絡みがあるかも知れねぇ。
あらまっ、お武家の落としだねってことかぃ。
凛も心配そうに樽に腰掛けて話を聞いた。
せんに住んでた水天宮の下辺りは、
妾町って言われてるくれぇだ。
働きもしねぇで親子がすんでいたとなりゃ。
まぁ察しもつくってもんなのよ。
それじゃ何でまた深川の裏長屋なんかに・・
凛はちょいと上に気遣って声を潜める。
だがなぁ・・探れば武家筋に突き当たって、
うまく転がりゃ父親筋に引き取られることも、
あるかもしれねぇんだが・・
だいてぇ裏長屋に隠すように住まわせて、
焼け出された事も判ってるのに知らせもねぇのは・・
拘わりたくねえ訳もあるってことだぁな。
そこがおいらは気にいらねぇな。
太吉は大根の昆布〆を口に放り込んだ。
中也もきつい眼差しでぐい飲みを口に運ぶ。
へんっ武家なんざぁお家だ面目だとやっかいなもんだぁ。
下っぴきの加吉がせんの差配んとこいったが、
口止めが効いてるらしくはっきりしねぇ。
武家の小者らしい奴が借家の賃料は届けてたらしいが、探ればおっつけ行き着くだろうよ、
だがねぇ・・
それでその先どうするか、太吉さんとも話して、
お凛さんと伊三さんにも相談してみようってな。
お武家なら弥吉の学問とかぁ、
思うままかも知れないが・・
おいらは反対だなっ。
伊三次がきっぱりと言った。
おまいさん・・
馴染みも無いお武家暮らしに引き取られて、
窮屈な暮らしが弥吉にいいとは思えねぇ。
おいらも引き取った以上あいつが、
いっぱし世間に出て暮らしが立つようになるまで、
面倒見る覚悟だぜ。
伊三さん、良く言ってくれたぜ、
おいらも太吉つぁんにそこで止めてくれって、
いったんでぇべらぼうめっ。
暮らしに行き詰まって子を捨てる親も居る。
親を失くして裏通りで死んじまう餓鬼もいるだろよっ。
そんな奴らをみんな面倒見ることたぁできねえや。
悔しいがこっちも暮らしがいっぺぇだ。
だがな、縁ってもんで拘わっちまったら、
何とかしてやりてぇのが町場の人情よ。
頭下げて向こうが来たならともかくよっ、
こっちから小遣いねだるように押しかけるのは、
気にいらねぇのさ。
中也の言うとおりだぁな。
伊三さんとこなら安心だぁ、
おいらも探索は手を止めようと思うのよっ。
お武家が幸せとは限らねぇさ、
たとえお旗本の御落胤だとしてもなぁ。
おうよっ、気楽に生きられる町場の意地ってもんでぇ。
あいつが楽しく暮らしていけりゃそれが一番でぇ。
中也もはじめてにっこり白い歯を見せる。
弥吉は階段の縁まで寝床から這ってでて、
こっそりと耳を傾けていた・・
自分がどんな立派なお武家の子でも、
そんなのかんけぇねえや。
おいらを自分の子みてえに心配してくれる・・
おいらしっかりやるからここへ置いて下さい。
弥吉は祈るように、
おっかさん、おちえ、守っておくれと呟いたのだ・・