kaixo こんにちわ~
 桃林の桃源郷
バスク旗

バスクという国はありませんねん。

バスク人と言われる人達が、
住んでいるだけです。

何処に住んでいるかというと、
ピエレネー山脈を挟んで、

フランス側に10万人、
スペイン側に40万人といわれています。

バスク地方はピカソのゲルニカによって、
一般的には聞き覚えのある名前でやす。

なんでヒトラーのコンドル爆撃隊が、
この小さな村ゲルニカに集中砲火を浴びせたのか、

空爆実験とも言われますが、
一方でフランコ将軍はバスク人が、

山岳ゲリラとして、しぶとく戦い抜く事を
怖れたからだとも言われます。

この人達は、
言葉の化石とも言われる印欧言語でない、
言葉を話ますねん。

この辺は言語研究の先達、しま爺さんのが、
お詳しいかも知れないのですが。

以前、拙ブログで古代史を書いた時にも、
ノアの箱舟あたりで触れたように、

旧約聖書の大洪水が起きた時に、
ノア以外にも、アイトルと呼ばれた男も、

方船を作って洪水を逃れたというのね。

彼の船は、
イベリア半島のビスカジャ湾に流れ着き、

それがバスク人の祖先ではないかと、
バスク人はそう信じているようです。

それがわしらの祖先じゃよ。
バスクベレーの老人は誇らしげに言ったの。

桃林の桃源郷


アルタミラの洞窟壁画も、
彼らの祖先が描いた物で、描かれててる野牛も、
方船で運ばれてきた野牛を放したものだとか・・

アイトルには7人の子がいて、
バスク7州を納めたというのね。

印欧民族が入ってくる前に、バスク人が、
ピレネー山裾に住んでいたことは、
学術的にも間違いないらしいの。

バスク語は3000年にも渡る印欧言語の波に、
唯一抵抗してきた言語なんでやす。

フランコの時代に、
バスク語を禁じられた人達は、

こつこつと地下で辞書を作り、
屋根裏で子供達に教え伝えてきた。

だから今のホアン・カルロス王になって、
バスク語が解禁された時に、

子供達までが一斉に、
バスク語を話したのでやすね。

これは中々に、すごい事だと思うのよ。

日本人の言葉の変遷や、
言葉と文字についての感覚の、
変わり様はすごい勢いで変化してるしね。

梅軒さんも書いてらしたけど、
人は言葉と文字で思考すると思うし、

言葉や文を磨くことは、
ある意味自己発信の力を磨く事でもあって、

若い人が仲間内で使う、若者言葉も、
それはそれで面白いと思うのだけどね、

考えを纏めたり、伝えたりする言分能力は、
やはり時間をかけて鍛えたり、

醗酵させたり、していくんじゃないかと思うの。
この際自分の事は棚にあげとこっ、ヨイショ;

話がそれたけど山の民バスク人は、
豪放で勇気があると言われている。

かって大航海時代にも、
司令官は多くバスク人だったのね。

ところが一方バスク人は、
美食家でそれも男の世界なんである。
美食倶楽部は女人禁制。

客として迎えても、キッチンには入れない。

バスク料理はスペイン料理の中でも、
美味しい料理と認められていて、
街中にはバスク料理の名店が多いんですねん。

またいずれバスク地方の旅と、料理のお話を、
書こうと思っています。

じゃ、biararte また明日ね!

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