私は忘れたくない | ○○ホームと被災と私

○○ホームと被災と私

とある被災県
平成23年3月11日 旦那実家地震により全壊
○○ホームにて建て替えを決意するも 
地震後の受注急激アップに付随するいろんな
ことからいろんなトラブルが

そんなこんなにまつわる壮大な愚痴ブログの予定

彼女の 表情にはいろんなものが現れていた


すべてを無くす というものがどういうことなのか私には分からない






ほんとに びっくりするくらい 私の身の回りの人は亡くならなかった


親なんて 次の日訪ねて行ったら


「電気止まってガス止まって とりあえず 家でじっとしてればいいかと」とのんびりしてた。


その親に灯油とともに娘押し付けて仕事に行った私も私だが


保育園は公立は次の日から開設した。1月に幼稚園に転園させてた私は1週間ほど開かない幼稚園前に『いつ開くのー』と泣きながら通った





今は私たちは 時々 みんなであのころのことを語り合って笑い話にする


「いやー 津波に会いましたー」


『大丈夫だったの』


「うん 自分の車に乗って避難したら後で父ちゃんから『なんで俺の車に乗って逃げなかったあっちの方が高かったのに』」



・・・・助かったから 本人だから 言えること





「いやあ 半端に壊れた方が大変です 俺の実家のように津波できれいさっば無くなった方がまだ楽だって親父が」



そんな 話も 皆はなんとなく 相手を確認しながら話す



だって 本当に 辛かった人は そんな風には 話せないだろうし聞けないだろうと思って





2011年4月 かつての上司と飲み会しようという話が地震前にあった


4月 それどころでなかったし その上司の家は 津波にあっていた



心配してたら7月に飲もう言われた


「おうち 大丈夫だったんですか?」


『いや 駄目だったわ』


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


『もう別なの建てたわ』



ええええええΣ(゚д゚;)



あの うちの県でも最大の被害があったとこ



『速攻で別なとこに土地買って建てたよ』


はあああ さすがだ


『ただね』


うん


『地震の時俺 自分の地域に居なかったのさ あわてて帰って3日間水につかりながらかあちゃん避難所に居るかと探し回ったよ 3日目に見つけて それから俺は被災者じゃなくなったね』






私は 忘れない 忘れたくない


ガソリン不足で現場に行けなくなった旦那が仕事でいっぱいいっぱいの私のために動いてくれたこと


1週間以上お風呂に入れなかったら 電気ポットでお風呂沸かして待っててくれたこと


お湯が心にほんとに沁みたこと




これだけはと子どもとじいじばぁばのためにと取って置いた甘いものを

「いやあやっぱ疲れていると甘いものはいいねえ」

と旦那にバクバク食べられてまじ殺意を抱いたこと



忘れたくない



と同時に 


ほんとにつらかった人は 忘れたい振り返りたくなどないのだということを



もちろん そこから立ち上がる人はたくさんいる けど 立ち直れなくても とりあえず生きてりゃオーケーじゃないかとしみじみ思う



震災の時に確かにあった 絆



時とともに立場とともにどんどんもろくなっていくこともある


営業○○さんに同情していたはずの私からしてこれだ




これから 新しい生活になればもっと忘れるだろう


ただ その前に


ちょっと振り向いて 精一杯爪跡をたてて痕跡を残したいとずっと思っていた


そんな機会を与えてくれた○○ホームに感謝 は一ミリもしてないが