本館 エントランス横にはテレビ版 999。本来のナンバープレート 26号機をテレビ版の50号に取り換えられています。
実際のC62の最終号機は49なので、テレビ版ではその次の50号機にしたのと、テレビの放送話が偶然49話になったからだそうです。
因みに999としたのは、永遠に1000に満たない、完成のない物語という意味だということで、弁慶の武器狩りと共通で99本まで狩りながら、もう後1本で100本に…というストーリー演出だそうです。松本零士先生の生前VTRでおっしゃられてました。
昔、弁天町時代でも映画公開に合わせて銀河鉄道999のヘッドマークを着けたイベントがありましたが、その時のナンバープレートは26号機のままでした。
当時、映画公開に合わせて、行先の判らないミステリー列車「999号」も運行されましたね。その時の999のヘッドマークは祐天寺のカレーステーション「ナイアガラ」にあります。
テレビ版に合わせて、炭水車にはステッカーでこの特注エンブレムが貼られていました。
皺なく定位置で傾きなく貼るのは、大掛かりで緊張する作業だったでしょう。プラモのデカール貼りとは違うのだよ。
展示は2月4日(日)までだしたから、翌、月曜日の開館までに取り外し、もとの26号機に戻すのはたいへんだったかもしれませんね。
このイベントは、2月13日の松本零士先生の一周忌に合わせて企画されたのでしょう。
博物館係長さんが999に特別思い入れをもって関わられたようです。
この日のSLスチーム号 16:00発の最終便が出発を待っていました。
ふと…嵯峨野トロッコDE10に係員2名の動きが…
これは、マイテ49を移動させるのかも?…と。これは貴重な場面であるとレンズを望遠に換装して様子を窺い。
動かすならDE10のエンジンを始動させるはずですが、そのような音は聴こえてこず…
DE10から降りた係員は、今度はオハ46との連結付近に移動…
結局、何の作業だったのか係員は去っていき、期待したマイテ49が動く気配は消え、糠ヨロコビとなってしまいました。
後日、このマイテ49は、本館引込線展示場でC62 1とともに展示されていました…残念ながら、2月4日で特別企画 銀河鉄道999展は終了してしまいました。