オーストラリアでお気楽子育て
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ご近所は宣教師

最終的には家族みんなで死期を告げられた父を看病しようと、4月頃広めのマンションを借りた。結局父は契約した入居日当日に亡くなってしまったので、用がなくなってしまったそのマンションに、現在こどもと一緒に住んでいる。

それはさておき、オーストラリアでは、国籍が異なる者同士の結婚は極々普通のことだったが、日本では私たち夫婦は少数派の国際結婚したカップルなのだ、とまざまざと感じる。青い目ブロンドの旦那は、日本ではいわゆる外人なので、どうしても目立ってしまう。

目立ってしまうから必然的にご近所と仲良くしなければならないのだが、私はどうもご近所付き合いがめんどくさい。別に何がどうというわけではないのだが、ただ面倒なのだ。越してきた直後のご近所への挨拶も、明日こそはタオル持ってご挨拶しなくちゃと思いつつ、結局今日まで来てしまった。

反対に旦那は、ご近所さんと立ち話なんぞまめにしていた。ある日旦那は「今度ご近所のお家まで招待されたぞー」と帰ってきた。旦那の話しによると、日本人のご夫婦だが、海外滞在歴が長く英語はぺらぺらで、だいちっちと同じ年の子がいるらしい。まだ会ったこともないのに、どうもご近所にお呼ばれというのは気が引けるなあ、と躊躇していたが、とりあえず遊びに行った。とってもおいしい手作りのケーキやフルーツサラダで手厚くもてなしてくれた。だいちっちも、お友達のおもちゃで遊べて大喜び。

うちの旦那の職業はミュージシャンという話になると、「うちでも演奏してください」と返事が返ってきた。ライブハウスでも経営しているのか、早速そんなラッキーな話とは思ったが、なんとその後夫婦のお仕事は宣教師。

宣教師????というと江戸時代のフランシスコ・ザビエルくらいしか知らないのだが。。。ザビエルみたいな格好の人を想像していたが、実際普通に生活しているんだとびっくりした。

 

初対面なのに、お互いにすぐに打ち解けてしまった。オープンだが、あっさりとしていて干渉しないご夫婦なので、とても心地良い。

 

どうもうちは一癖ある人と仲良くなることが多いようだ。アンテナを張っているわけではないのだが、類は友を呼ぶということか?うちの旦那が教会でゴスペルを演奏する姿は、まず想像つかないのだが、ご近所付き合いも楽しみになってきた。

 

 

 

 

 

四十九日

もうすぐ父の四十九日。


しばらく、やる気が出ず、半ば中断していたブログ。

最近になって、父の死をただ悲しむのではなく、ようやくこれを機会に前向きに生きる意欲が出てきた。帰国して二ヶ月、あまりにも色々なことがあり、何から書けばよいのか分からない。親しいオーストラリアの友人に送った手紙に、自分の気持ちがまとまっているので載せたいと思う。



手紙からの引用:



元気ですか?日本に戻って一ヶ月以上になりますが、この一ヶ月非常に目まぐるしく、まるで1年くらいこちらにいるようです。


父はこの3月より闘病生活を送っていましたが、その甲斐なく4月16日、60歳にて永眠いたしました。


帰国して2週間という短い期間、病院に見舞いに行ったのが最後になりました。入院生活だけではなく家庭を味あわせたいとの担当医の計らいで、仮退院できると本人も家族も喜んで待ち望んでいた仮退院の当日に病状が悪化し亡くなりました。飄々と生きてきた父らしく、まるで60歳の誕生日を待っていたかのように、あっという間に逝ってしまいました。家族みんなで父の最期を看取れたのがせめてもの慰めにはなりましたが、あと1年くらいは持つだろうと思っていた矢先、あまりに突然のことで未だに動揺を隠せません。今まで父をほったらかしだったくせに、いざ亡くなってみると、自分の中での父の存在はあまりにも大きくて、空虚な気持ちでいっぱいです。


葬式とお通夜にはのべ900人以上の方々が参列してくれました。お葬式は無宗教で、家族と親しい友人だけでという父の遺言でしたが、「お父さんにありがとうを言いたい人はたくさんいる。後から聞いては皆納得いかないだろう。」と父の親しい同僚の先生に説得され、立派なお葬式を挙げることができました。無宗教で花祭壇と献花、音楽などもオリジナルに選択し、お葬式を執り行いました。父の遺言には反するものの、父と関わりのあった様々な人々に出会い、良い人生だったと振り返ることができて、良いお葬式だったと心から思えました。父も盛大に見送ってもらう方が性分に合っていたと思います。


親しくお付き合いしていた同僚の先生方、父を生涯の恩師と慕っている卒業生や、在学生の生徒さんの数に圧倒され、もちろん悲しみは大きいのですが、生前父はこんなにも皆に慕われていたのかと誇らしく思いました。実際に自分の足で旅し、アジアを専門に教えていた父の講義は、とにかく面白いの一言だったようです。実際に聞くことができなかったのが非常に残念です。講義だけでなく、人生相談も一手に引き受けていたようで、卒業生と一緒に飲むのが何よりも楽しみだったようでした。父は私たち家族のものと思っていましたが、案外私たちは父のほんの一部の顔しか知らなかったのだ、奔放に生きてきたと思っていましたが、十分社会的な役目を果たしてきたのだと今回初めて気が付きました。多くの留学生を送り出し、日本と中国の橋渡しとしても重要な存在だったようでした。今でも卒業生が遊びに来て、当時の話をしてくれる度に、ジグソーパズルのように少しずつ私たち家族が知らない父の顔を発見しています。


今回父の死を通じて色々な方と出会い、父がくれたこれまでの愛情を振り返り、何が大切なのか自分を見つめる良い機会となりました。父のように数多くの人に影響を与えるような人生は送れないとは思いますが、「感謝の気持ちを忘れず、自分なりに精一杯生きなさい」というのが父の最後の教えだったように思います。今は一人の命の終わりであると同時に、新しい始まりでもあるという思いでいっぱいです。



今はまだ、大丈夫と思っていても思い出しては涙して、なんとなくぼーっとした日々を送っていますが、少しずつ元気を出して明るく笑える日まで、もうちょっと頑張ります。帰国の際にはまた会えるのを楽しみにしています。では、取り急ぎ挨拶まで。


2005年5月17日

父に会える日まで

ホリデー中に、父が末期の癌と分かった。

本当は両親と一緒に過ごす予定だったホリデー。


大学時代に父と二人で行った3週間の中国旅行のことや、孫と遊ぶ父の姿、結婚を切り出した時の父の表情などをを想い出してはぽろぽろ涙が溢れてしまう。これだけ泣いたら、もう明日は涙が出ないだろうと思っても、また泣いてしまう。

大切な人がいなくなってしまうかもと思うと、とても恐くて、悲しくて、泣き虫の私は昨日まで、外でも家でも泣いてばかりだった。

昨夜母と電話で話をした。泣いてばかりで、ご飯ものどを通らず、眠れぬ日々を過ごす私を見兼ねて、母からカツを入れられた。

母は『腹がへっては戦はできん!って言うでしょ。私も一日目は頭がぐるぐる回っておかしくなるかと思ったけれど、その後は毎晩良く寝て良く食べてるよ。あなたが倒れたら、二人も面倒見られないんだから。あなたが倒れたらこどもの面倒は誰が見るのよ。あなたはあなたで守るべき人がいるんだから。眠れないんだったら母乳止めて哺乳瓶にして精神安定剤でも医者からもらいなさい。お父さんも頑張っているんだから、あなたも頑張りなさい』と諭された。

私が両親を励ます必要があるのに。ただ脱力して、泣いてばかりいた私。情けない。

その後昨夜は10時間くらい死んだように眠った。寝たら食欲もでてきた。妊娠前から5キロくらい痩せてしまったけれど、まだおっぱいをあげているからまずは食べなきゃ。


今は下の子のパスポートがおりるまで、一日一日が長い。

緊急で48時間で申請したが、あいにくイースターホリデーで役所が閉まり、心は焦るばかりだが待ちぼうけ。父に会えるまであと数日の辛抱だ。まだ抱いていない下の子を何としてでも父に見せてあげなくては。私は勝手気ままに生きてきて、何も親孝行していないから。

母、妹http://tigerlily.ameblo.jp/に元気づけられ、今日ようやく自分の気持ちを記す気力が出てきた。日本に帰ったら、毎日できることを一歩一歩家族と一緒に歩んでいこう。



ホリデーだ!!!

明日から一週間Noosaへホリデー。NoosaはBrisbaneから車で2時間程度の海辺の町。以前住んでいたので、共通の友人が多い。しばらく帰っていなかったので懐かしい。

が、しかしジェイジェイの鼻水止まらず、週末の天気は雨らしい。。。

まあビーチで遊べなくても、友人訪問してぼーっとして帰ってくるか。

というわけで、一週間ブログはお休みしまーす。

時々遊びに来てくれている皆ありがとね!

周りの友人が始めたから、という理由で開始したブログ。まだ開始から一ヶ月だけど、初めは一桁だったアクセス数が毎日50人近くになり嬉しい限り。自分のための日記兼エッセイということで適当に始めた(初めの1週間くらいは空白のままほったらかしでした)のに、読んでくれる人がいると思うとあまり適当でもいかなくなってしまった。

かれこれオージー生活も10年近くになり、オージー化してしまった私。たくさんの誤字脱字、拙い文章だらけだけど、そこはどうか目をつぶって読んでやって下さいまし。

休暇明けに、ホリデーの詳細アップします。

バリアフリー

昨日Valley (China Town)にあるfpq (Family Planning Queensland) に行った。

ここは女性のためのクリニック。全て女医さん、看護婦さんなので男性のお医者さんに聞きにくいことも抵抗なく聞ける。スタッフはとても気さくで、内診も女性であれば快適だ。この前はマグカップでコーヒーまで頂いた。ここのクリニックは政府が運営しているため基本的に無料。診察後$5寄付するかどうか聞かれる。

さて、このクリニックは古い建物の中にあり、入り口にたどり着くまでに7段くらい狭い階段がある。私は日本製とオーストラリアで購入したベビーカー2種類持っているが、買い物かごにいっぱい入るので基本的にこちらではオーストラリアのベビーカーを利用している。これは頑丈で気に入っているが重い。こどもと合わせると20キロ近くになるのではないだろうか。このたったの7段が、ベビーカーと一緒だと1人で上がることができない。これにはマイッタ。ベイビーを道路に置いていくわけにもいかないし、ベイビーと私だけ先に行って、受付で誰かにベイビーを預けてベビーカーを取りに行くのも治安の悪いチャイナタウンでは不安だし、結局誰かクリニックから出てくる人か、通りすがりの人に声をかけないと受付までたどり着けないのだ。数分どうしようかなあと考えていたら、たまたま出て来た女性がベビーカーを持ち上げるのを手伝ってくれた。

fpqに来る度にこの階段には非常に腹が立って、『女性のためのクリニックで、赤ちゃん連れの母親はたくさん利用しているのにスロープがないとは信じられない!!政府は何をやっているのか!!!』と毎回受付でブーブー文句を言った。受付の人も『古い建物なので。皆さん困ってます。私達も政府に要望をw出しているんだけど、何せ政府の対応が遅くて。BABYと一緒に先に上がってきたら、ベビーカー運ぶの手伝うから』との返事。

独身の時はバリアフリーなど気にもかけなかったが、ベビーカーを利用するようになると困ることが多くて必然的に気になってしまう。それでもオーストラリアは比較的、車椅子の人が外出しやすい環境だと思う。ショッピングセンターや電車でも車椅子の人をよく見かける。電車に乗る時に段差がある駅では、駅員さんがささっと板を持って来て乗り込むところをよく目にする。それでも、やはりエスカレーター、エレベーターがない所はやはりある。しかしこの国では気楽に道行く人が手を貸してくれる。全身タトゥーだらけの人や、真っ赤な髪でパンクな格好をした若者など、意外な人が幾度となく自然体で手を貸してくれた。この国では困った人に声をかけるのは極々自然なことのようだ。

日本での赤ちゃんを連れての外出はなかなか大変だった記憶がある。日本はもっと段差だらけだ。ベビーカーと一緒に階段を登れず困っていても、手を差し伸べてくれる人は少なかった。日本で赤ちゃんとの外出は腕力勝負なのだ。

FPQでは遅い政府の対応にしびれをきたしたのか、ようやくPetition (署名)を始めていた。10人分くらいサインしたい思いだった。いつ頃スロープが取り付けられるのか楽しみだ。

ブリスベン在住の皆様、Papsmear test(子宮癌検診)など婦人病関連はfpqお勧めですよー!最近ママになったY子ちゃん。Y子ちゃんが昔職場で勧めてくれるまでfpq知らなかったんだよ。教えてくれてありがとねー。

Super Size Me

妊娠前に比べて体重が3キロも減った。特にダイエットや運動はしていない。今日は外でケーキ食べて、旦那へのお土産に買って来た分のロールケーキも今さっき本人には内緒で半分食べてしまった。

これもジェイジェイがせっせとおっぱいを飲んでくれるおかげだ。人によりけりなので一概には言えないが『ピーク時で一日に600mL~1Lは母乳が出る』とどこかで読んだ。1Lの牛乳瓶をみると、こんなに毎日製造しているのかとびっくりだ。まるで私はおっぱい製造マシン。授乳中はスリムになり、胸もでかくなり嬉しい限りだが、断乳して産休明けて仕事に復帰したらリバウンドが凄そうだ。

ところで、今日『Super Size Me』by Morgan Spurlockを観た。かなり前にヒップなMちゃんがお勧めしていたドキュメンタリー映画をVideo Shopから借りてきた。

一ヶ月間3食マクドナルドを食べ続けてどのような影響がでるのか追ってみるといった内容。是非見て頂きたいので詳細は述べないが、ファーストフードの影響は測り知れない。健康を害するばかりではなく、精神的にも中毒症状、鬱気味になっていく過程が何とも恐い。一ヶ月試しただけでかなりの悪影響がでることを実践しているが、一生涯のうちファーストフードを食べることって、今の世の中かなり多いのでは?

週に1度マックを利用する人はヘビーユーザー(72%)、週に3、4回利用する人はスーパーヘビーユーザー(22%だったと思う)とのこと。

週に一回くらいは使っちゃうよなあ、ファーストフード。だって安いもん。日頃の買い物をするショッピングセンターにはもちろんマックがあるので、雨の日などだいちっちを遊ばせるついでに50セントのソフトクリームやハッピーミールをよく買い与えてる。恥ずかしながら私がおもちゃがほしくて(最近付いて来ていたセガのコンピューターゲーム)ハッピーミールを買ったこともある。時々だったらいいやと思っていたものの、子供の食文化を洗脳していたのはまず自分だったと反省。旦那は身体に悪いと昔からマックは毛嫌いしていた。

うちの母は、私達姉妹が小さなうちは絶対にカップラーメンやファーストフードを食べさせなかった。当時カップラーメンが無性に食べたかったことを思い出す。未だに近所の生協に飾ってあった、コーラに漬けてあった動物の骨。もちろん骨は溶けていた。小学生の時の記憶だが、未だに鮮明に覚えていてコーラは今でもどうも苦手だ。中学、高校生になると友人とつるんでファーストフードを食べて、油と砂糖いっぱいの味にとりこになっていた。あの頃はよく肥えていたなあ。

溢れる広告、どこへ行ってもみかけるマック。オーストラリアの食堂ではやはりチップスが定番。日本の学校の給食のように栄養士さんはいない。

マックを攻めているわけではないが、知らぬ知らぬのうちに私も大企業の思うつぼになっていた。ファーストフードが悪いと言っているわけではない。こどもに食を自分で選択すること、自分の健康を考えることを教えてあげられるのは結局は親なのだ。時にはファーストフードも良いけれど、他にももっと美味しいものがいっぱいあるんだよと教えてあげたい。

気になる方是非映画観てみてね!ちなみにスーパーサイズとは、Lより大きいアメリカにある特大版のこと。オーストラリアのマックにもあるのかな?日本はないよね?

離乳食

ジェイジェイ頑張って1人で食べるの巻。ばっちー!!




ジェイジェイの上の歯が2本生えた。これで計4本。

現在ジェイジェイは6ヶ月。離乳食を始めて1ヶ月になる。みじん切りにしたり、すりおろしたり、潰したり、食べやすいようにとろみを付けたり離乳食の準備は意外に面倒だ。初期、中期、後期、完了期とメニューの質が異なる離乳食。

初めの一週間は面倒なのでフォークでつぶすだけのマッシュバナナばかりあげていた。きっとジェイジェイは今日もバナナかと思っていたに違いない。あとはアボガドやヨーグルト。要は火を通さなくてすむものばかり。

『ひよこクラブ』等の日本の赤ちゃん雑誌の離乳食特集を読むと、日本のママは皆栄養を考えて一日何品目も上げていて本当に尊敬してしまう。見栄えも美しく、離乳食というよりは精進料理。全てのお母さんがこんなに手をかけているとは思えないが。。。毎日16品目離乳食を目指しますというお母さんもいてすばらしいの一言。

オージーのBaby Foodは、日本のものに比べるとかなりアバウトだ。ピューレにしてあげられるもの一覧とか、9ヶ月からはもうちょっと歯ごたえのあるものを導入しましょうくらいで、日本の離乳食のようにバラエティに富んでいない。日本の離乳食は食感の導入やら、食べやすいような工夫等アイディアやアドバイスがいっぱいだ。

離乳食開始から1週間後、さすがにバナナだけではかわいそうになってきた。体重もあまり増えていないし、このままではきっと偏食のひどい大人になってしまうに違いない。最近になって冷凍保存のテクを覚えた(遅い!)ので、バナナ以外のおかゆやマッシュポテトなど他のものも上げるようになった。それでも、まだジェイジェイが食べたものは限られているなあ。ジャガイモ、サツマイモ、マンゴ、バナナ、ピーチ、リンゴ、洋梨、人参、ブロッコリー、カリフラワー、ヨーグルト。これじゃあベジタリアンベイビーだ。

1人目の時は、離乳食も何か新しく食べられるようになる度に一喜一憂していたのに、二人目になると食べられればいいやと、回数も時間もアバウト。郷に入らば郷に従えだ。オージー流だが自分の気の向いたところだけ日本流でやっている。

明日はお魚あげようっと。

オーストラリアの不動産 Part2

ジェイジェイの散歩の時にとった写真。これはHalf millionクラスのQueenslander。






ブリスベンのオージーの間では、やはりQueenslanderがダントツ人気だ。Queenslanderは他の州では見られず、クイーンズランド州特有のもの。

Queenslanderとは、要は高床式倉庫みたいなものだ。木造建築で、築60年、40年はざら。暑く、湿度が高いブリスベンの気候に合わせて、一階は風通しがよくなるようにまるで庭のフェンスのように作られている。しかし実際住むとかなり暑い。一階は、だいたい物置きになっていることが多い。2階は大きなベランダ、屋根が高いというのが特徴だ。一階部分は使用せず2階に住む。日本人の私には、一階部分のこの無駄なスペースがもったいない気になるのだが。。。

この前不動産屋の人と話をしていたら、ブリスベンではブリックよりも木造のQueenslanderが未だ根強い人気らしい。新築でもわざわざQueenslanderにする人もいる。古いものがほとんどなので、中はリノベーションをして快適にして、しばらく住んだ後にに売りに出す人が多い。平屋を持ち上げて、2階にしてリノベーションしている家もよく見かける。専門の家を持ち上げる業者がいるから驚きだ。

広い庭にプールがある家も多い。週末はパーティーをして、大きなベランダでバーベキューをするのが典型的だ。

素敵な外観とは裏腹に、外のペンキの塗り替え等メンテナンスは結構大変らしい。皆こちらの男の人はかなりハンディーマン。何でも自分で修理、作ってしまう。ペンキ塗りやタイル貼など、自分でできるところは自分で、難しいところは専門業者へ依頼する人が多い。

新聞にはハンディーマン必要ですか?の広告があるが、うちは自分達ではお手上げになり、2度ほど依頼したことがある。

英国人のうちの旦那はハンディーマンとはほど遠い。うちにあるのは金づちとスクリュードライバーくらいだ。この前、工具専門店に行って、電動ドリルの利用は今回初めてなので、何が必要か云々といった話をしたところ、お店の人は目が点になっていた。こちらでは、みんな電動ドリル等の工具のセット一式は持っているものらしい。

旦那のハンディーマンデビューはタオルラック。初めて利用する電動ドリルでタオルラックを取り付けたら、だいちっちが鉄棒代わりにぶらさがり、数日で壊された。あれから数カ月、未だにタオルラックは壊れたまま、壁に穴があいたまま放置されている。

オーストラリアの不動産 Part 1

通りをあるくとどこでも見かけるFOR SALEのサイン。これは仮設住宅ではなく、列記とした家。おそらく築40年くらいだろう。このような家でも3000万円はするからビックリ!!それだったら、私は東京のど真ん中で新しいマンションに住みたい。


先日『高騰する物価』で意外に日用品の値段が結構高いという話をしたが、不動産はどうなのか。ブリスベンのバブリーぶりを紹介。

うちは2002年にぎりぎりセーフで新築のマイホーム購入。あと数年購入を迷っていたら価格が高くなってしまい何も買えなかっただろう。家を売れば差額で利益がでるとは思うものの、他の物件も非常に高いので結局プラスマイナスゼロ。そうとう田舎に引っ越さない限りバブルの恩恵は受けられず。

まずはシドニー、メルボルン、ブリスベンの家の平均価格を見てみよう。。。
     House     Unit
Sydney   $500,000  $385,000 (←めっぽう高い)
Melbourne $371,200  $297,000
Brisbane  $310,000  $239,000

シドニーがダントツ高い。平均価格が4500万円では、First Home buyer初めて家を購入する人にとって、シドニーでの一軒家の購入は難しい。シドニーで家を購入できなくなった人や、投資家がブリスベンに流れてきている。加えて、数年前ローンの利率が下がったことがかなり影響している。とはいってもローンは一番低い時でも5、6%。現在は7%程度。

次にここ30年間、ブリスベンでは不動産がどのような動きだったのか見てみると。。。

1975 $24,900 (←へっ??200万円程度で家を購入??)
1980 $35,450
1985 $63,000
1990 $118,000
2000 $173,000(←シドニーオリンピックの影響か?)
2004 $355,000 (←3000万円以上なんて、ただのあほだ)

えー30年前はこんなに安かったなんて!ショック。もちろん 物価や給料も安かったこともあるが、銀行やその他の機関のローンの利子は20%近かったらしい。この利子の高さ、まるで高利貸。

現在オーストラリアドルが強い。オーストラリアの景気も上昇するばかり。失業率もこの30年間で一番低い。この不動産バブルそのうちはじけるのだろうか?

スペースステーション

最近のだいちっちは、ロボットやスーパーヒーローに夢中だ。

これはいったい何でしょう??

これは、昨夜だいちっちが一生懸命セロテープやハサミで作っていた『スペースステーション』。その辺にあったチラシの上に哺乳瓶のフタを取り付けたもの。

どうしようもない出来映えだが、本人は誇らしげな顔をしていたので、なんとなく捨てられずダイニングテーブルに飾っておいた。

他にも、この間はセロリがロケットになっていた。今日はゴザを背負って羽の代わりにして空を飛んでた。

大人になると、紙は紙、哺乳瓶のフタはフタでしかなくなってしまう。こどもの自由な発想には毎回ハッとさせられる。